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2007年9月の記事

2007年9月30日 (日)

「百名山を振り返る」その22

2006年の待ちに待った夏休み。南ア南部の悪沢・赤石・聖を三泊四日で、幌尻をH隊員サポートで登る予定。

2006年8月19日。ムチャクチャに暑い日だった。仕事を終えたその足で横浜に向かった。「ムーンライトながら」の時間までヒマがあったので、スカイスパでサッパリすることにした。汗を洗い流したいのもあったが、山ブログ界のカリスマしげぞうさんから初のコメントをいただいたので、スカイスパのPCからお返事書きしたかったのもあった。「ながら」で静岡へ。しずてつジャストラインで畑薙ダムへ。東海フォレストの送迎バスで椹島へ。5時間半の歩きで1日目は千枚小屋泊。

90座目:悪沢岳・・・「悪沢岳」そんな山あったかなー、と思う人も多いようである。荒川三山の東岳(荒川東岳)のことを深Q先生は「悪沢岳」と書いておられます。千枚小屋を出発して、お花畑に圧倒されつつ、2時間の歩きで悪沢頂上へ。

91座目:赤石岳・・・悪沢岳から下りに下って荒川小屋。ここでお昼にする。小屋でカレーを食べてるオジサン二人組がいた。うまそうだった。でも1000円だそうだ。千枚小屋のおイナリさんで我慢する。おイナリさんももちろんうまかったですよ。ここから登りに登るわけだが、半分ヤケクソになって走るように登る。元気あったんだなー。12:32、赤石頂上到着。弁当の残り半分を食べる。1時間50分ほどで百間洞山の家に到着。エビスがうまかった。そして小屋のメシがうまいのなんの。小屋で隣になったオーストラリア人のジミーに影響され、光岳行きを決心した。三泊四日の予定が四泊五日になる。

92座目:聖岳・・・百間洞からの登りでジミーに抜かれた。ジミーについていけば茶臼小屋まで間違いなく行けると思ったが速くてとてもムリだった。4時間少々で聖岳頂上到着。ここで、このブログに時々コメントをいただく「おとばさん」にお会いした。ここからの下りで雨に降られた。ジミーにもらったチョコビスケットに元気づけられながら、上河内岳の頂上も踏むことが出来、この日10時間の歩きで茶臼小屋に着いた。ジミーはいなかったが、岩崎元郎先生がいた。一緒に写真を撮ってもらった。岩崎先生の歌もきいた。茶臼小屋ではビンチョウの刺身が出た。

93座目:光岳・・・茶臼小屋で隣になった佐藤さんは光に登ったあと、易老渡に下りるようだ。自分もそうしたいが、タクシー代とJR料金を考えるとやはり今日は茶臼に戻ってくるべきだ。気持ちのいい稜線歩きとクマの出そうな光岳付近の歩き。4時間半ほどで「遥かなる光岳」頂上へ到着。そして憧れの光石へ。10時間18分の歩きで茶臼小屋に戻ってきた。今日も歩いたなー。小屋には聖の頂上でお会いした「おとばさん」がいた。

南ア南部5日目は茶臼から下るだけだ。茶臼の小屋で岩崎先生の写真を撮ってもらったおばちゃん(通称先輩)と抜きつ抜かれつしたりしながら。畑薙ダムのバス停では先輩やおとばさんと話しながらバスが来るまで時間をつぶす。

さて翌日から北海道だ。「はるかなる光岳」に続き「はるかなる幌尻」だ。

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2007年9月29日 (土)

「百名山を振り返る」その21

86座目:魚沼駒ヶ岳・・・2006年6月25日H隊員と登頂。私にとって、ブログを書き始めた記念すべき山です。詳しくはコチラ>>

87座目:会津駒ヶ岳・・・2006年7月17日H隊員と梅雨の最中の雨の中を登頂。詳しくはコチラ>>Dscf0195_30 Dscf0197_29

7月22・23日、1泊2日の白山登山を計画した。H副隊長が大阪からJRで、私が小松空港へ飛行機で、金沢に集合する予定だったが2~3日前から北陸は豪雨。別当出合へ行く道が通行止めに。あえなく中止となった。H副隊長はこのとき25年勤めた会社を辞める決心をしており、白山登山の時に私に打ち明けるつもりだったと、あとで聞いたことでした。8月下旬に予定していた幌尻・羊蹄山ツアーも三人で行くつもりだったが、H副隊長はそういうわけでしばらく山登りからは離脱と相成った。

88座目:朝日岳・・・単独。2006年8月3日登頂。このブログあたりから「H隊員」のハンドルネームが定着したようだ。私の山ブログスタイルもこのあたりから大体今の形になった。

89座目:高妻山・・・単独。2006年8月14日登頂。朝日岳で自信が付いたような気がしていたが、バテバテとなり、こんなことで南アルプスを歩けるのかと心配になった。詳しくはコチラ>>

「その21」は短くなってしまった。「その22」に南ア南部縦走が控えているのでお楽しみにしていただきたい。

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2007年9月27日 (木)

「百名山を振り返る」その20

85座目:荒島岳・・・単独。北陸フリーきっぷ使用。2006年6月6日、仕事を終えたその足で上野駅へ。寝台特急「北陸」のソロに荷物を置くとキヨスクへ酒とつまみを買いに行く。寝台の個室は「狭いながらも楽しい我が家」 ちびりちびり飲みながらH副隊長にメールを打つ。 メールその1「寝台特急「北陸」Bソロ(個室)におさまり、一人前祝いを始めたところです。学生時代は寝台特急なんて利用しませんでしたが、上野から夜行に乗ると色々と感慨がわきますな。学生時代は本を読むことが優先でビールには手が出ませんでしたがな。今はほれ、この通り。」0606062259

←メールその1の添付画像。ゆで卵とエビス。 次からは日にちが変わって6月7日。メールその2「『北陸』では4時間ほどぐっすり眠りました。『しらさぎ』車内です。晴れ時々曇りの予報どおりです。」 メールその3「6:55 深田先生の生まれた大聖寺を通過いたしました。」 7:13福井着。駅のホームで立ち食いそばの朝食。バスで越前大野まで移動。タクシーで勝原スキー場まで。9時歩行開始。山の上の方には雲がかかっており、眺めは期待できないかな・・・ 最初はスキー場のゲレンデを登る。日が差してくる。汗が噴き出す。が、それも最初のうちだけで、あとは樹林帯の登りになる。だんだんと晴れてきた。こりゃあ、白山が見えるかも。メールその4「10:45 シャクナゲ平到着。快晴なり。」 シャクナゲ平から少し下って登り返すと稜線に出る。白山だ! メールその5「11:37 荒島岳頂上着。快晴なり。白山を見ながらメールしてます。」 メールその6「雲一つなし、とはいきませんが快晴なり。白山はまだまだ雪がたくさん(はくさん)なんちゃって!」0606071146_2

←メールその6の添付画像。Arasima

←デジカメで撮った画像。 12:15、頂上をあとにする。14:40に勝原を出る列車に乗らないと予定が狂う。急いで下る。シャクナゲ平で休んだだけで、登山口に14:05着。勝原の駅に着いたのが14:18。間に合ったのでホッと一息。 14:40にやってきた列車は予想通り単行。Dscf0194  メールその7「14:05登山口着 14:18勝原駅着 ただ今越美北線貸し切り状態。」0606071431  JR越美北線はこの時、途中区間代行バスだった。

←メールその7の添付画像。「テツ」が写っている。 越美北線での「テツ」振りはコチラもご覧ください>>  福井まで越美北線。金沢まで各駅停車、ビールを飲みながら。金沢の駅ビルでお寿司と酒を買って「はくたか」で越後湯沢。大宮まで上越新幹線。埼京線・武蔵野線・中央線・青梅線で青梅まで帰宅。  2007年6月16日にもH隊員と登頂。

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2007年9月26日 (水)

「百名山を振り返る」その19

石鎚山から帰ってきた翌日、二泊三日で道東旅行に出かけました。JAL「おともでマイル」を使用しました。一人は1万マイル使用すればあとの三人は一人当たり往復2万で行けるってんで、「沖縄・奄美・道東のうちどこがいい?」なんて決めずにぐずぐずしているうちにどんどん座席が埋まり、選択肢は道東だけになってしまいました。Dscf0792_40

←05.10.15知床五湖にて。

屈斜路湖・摩周湖・知床プラス温泉ツアーですね。添乗員は私です。金を出すのも私です。

道東旅行の話はまたゆっくりと。

この年11月には大阪USJと京都に紅葉を見に行ったりもしました。Dscf0827_40

同じく11月にはH副隊長と阿蘇・九重に。

12月にはH副隊長と祖母へ。

明けて2006年、雪が融けるのを待ちきれず、H隊員と奥白根に出かけました。

84座目:奥白根・・・草津白根と区別するために「日光白根」とも言います。その方が通りがいいかも。2006年5月27日、まだ雪がたっぷりと残る奥白根に行ってきました。ゴンドラは夏山シーズンはじめで動き出したばかり。登山者も10数人くらいにしか会いませんでした。雪の具合はほどよく、アイゼンやスノーシューなども不要です。ただ、頂上付近は猛烈な風。雨も降り、全く展望はありませんでした。祠のところではここが頂上かと勘違いし、あやうく下山しそうになりました。一瞬ガスが晴れ、「あっちの方が高いぞ」てなことで頂上にたどりつきました。三角点にタッチしてH隊員とガッチリ握手。久々の百名山更新はやはりうれしいもんです。Dscf0193_10 Dscf0196_40

←全く視界の利かない頂上にて。

お侘び・・・冬にはあまり山にでかけませんので、「その18」と「その19」の間のことを書いていこうとしていたら、思っていたよりあちこちに行っていたようですので、そのあたりのことはまた別の機会に書くことにしました。次回「その20」はもう少し早くアップしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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2007年9月25日 (火)

日光白根山

2007年9月22日(土)、ぽんぽこ登山隊のマドンナであるセブンちゃんと日光白根に行ってきました。

気の合う仲間達には声をかけたのですが、何と言っても三連休の初日。それぞれ、北ア・南ア・東北などへ出かけたようです。

そして22日(土)一日しか山に行けないセブンちゃんと私とで山に行くことになりました。

行き先は日光白根。私の独断です。二百名山もボチボチ登っていきたいが、「百名山再び・・・」というのもやりたい。日帰りで行ける山。ということでそうなりました。

前日のメールでの打ち合わせでは、「7時に宇都宮で待ち合わせ」のはずでしたが、目覚ましかけるのを忘れてしまい、起きたのが5時少し前。

「アチャー、やってもうた・・・」

すかさず、メールで寝坊をわび、「乗り換え案内」で何時に宇都宮に着けるか調べると、7:53着。

メール連絡「8時宇都宮に変更してください・・・」

(いつもは目覚ましかけなくても4時には起きるんだけどなー)

ぼやいても仕方ありません。支度をして、駅前のいつものコンビニでおにぎりと飲み物を買って5:41発の立川行きに乗ります。

立川で中央線、西国分寺で武蔵野線、武蔵浦和で埼京線、大宮で東北新幹線に乗り換えて、7:53、宇都宮着。

駅のスタバの前のベンチで待っているとセブン号が現れました。

茨城県の西部から、車で二時間弱だそうです。

ここでセブンちゃんの紹介。お会いするのは5回目。

一回目はコチラ>>

二回目はコチラ>>

三回目はコチラ>>

四回目はコチラ>>

というわけで「ぽんぽこ登山隊」7人目の隊員なのですが、だから「セブン」ちゃんなわけではありません。

セブン号は日光方面に向けて快調に走ります。

女峰・大真名・小真名・男体がきれいに見えてきました。

私「今日は見えてるねー」

セブン「ホント最高ですねー」

私「もう1時間早ければもっときれいに見えたかも」

セブン「私も昨日フットサルやって夜遅かったんで、ちょうどよかったですよ」

どこまでも優しい、さわやかセブンちゃんである。

9:40頃、丸沼高原スキー場に到着。駐車場は満車とまでは行かないが、上の方まで行かないと停められなかった。

靴の紐を締めなおし、往復キップを買ってゴンドラに乗り込む。001

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←グラススキーをやっていました。003

←ポンポコ登山隊のマドンナ:セブンちゃん。004

全長2500m、標高差600mを15分で登ると、そこは標高2000m。005

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←さあ、これから歩行開始。

10:09、歩き出します。セブンちゃんは山靴を忘れたようで、足元はフットサルをやるときの靴のようです。

最初は散策コースにもなっている、割と平坦な道です。

空は秋色ですが、お花も少し咲いていました。008

散策コースから山道になっても老若男女とりまぜ、いろんな人がいろんなスタイルで歩いています。団体さんもいます。3歳の男の子もいました。

少し高度が上がると木々の間から山が見え出します。009

←時々立ち止まって山を眺めます。

木が低くなってくるとハクサンシャクナゲの群落が現れます。もちろん咲いてはいませんが。010 011

012

←春・夏はきっと見事なお花畑でしょうね。013

←ちょっと写真ではわかりにくいですが燧岳が見えています。みつけやすいですね。

火山だということを思わせるザラザラした石ころの道を登っていくと、祠があり、頂上もすぐそこです。昨年の5月にH隊員と来たときは雨で視界が利かず、ここを頂上だと勘違いして危うく下山しそうになりました。014

11:43、日光白根山2578mの頂上です。三角点にタッチ、ガッチリ握手です。015 017

頂上付近はたくさん人がいます。五色沼を見下ろすところに移動して、セブンちゃんはサンドイッチ、私はオニギリのお昼です。セブンちゃんは大福も食べていたような・・・019 020 022 021

023 024

頂上からは浅間・四阿・草津白根・武尊・谷川・至仏・燧岳が見えています。中でも武尊と燧岳はハッキリと見えています。

満足したところで、12:20下山開始。025 026

←昨年、頂上と間違えそうになったところで。

028← 石ころの道を3歳の男の子が登ってきます。お兄ちゃんも小2。お父さんはいつでもおぶれる体勢です。

木の根元をのぞいているご夫婦がいたので、

「何が見えるんですか?」ときいたところ、

「ヒカリゴケです」

のぞかせてもらうと、木の根元に空いた穴にヒカリゴケが何やら人工的な色合いをしてかすかに光っていました。ここ以外には知床の羅臼でしか見たことないです。

一度、休憩を入れ、シラビソの樹林帯を抜け、13:45にロープウェイの駅に戻ってきました。

まず、昨年来たときにはなかった「天空の足湯」へ。029

←日光白根の頂上には雲がかかってきました。

山から下りてきて足湯。なんとも幸せ。足がラクーになります。

ゴンドラから燧岳の雄姿を眺め、下りたところで「座禅温泉」でサッパリ。

セブン号で宇都宮駅まで送ってもらい、宇都宮線で缶ビールおじさんとなって帰宅の途についたのでありました。

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2007年9月22日 (土)

マドンナ:セブンちゃん。

2007年9月22日(土)、我が「ぽんぽこ登山隊」のマドンナ:セブンちゃんと日光白根に行って来ました。

速報です。Dscf1770_40

皆さん三連休でどうせおでかけでしょ?

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2007年9月21日 (金)

8月25日、御岳・日の出・レンゲショウマ

少し前の山登りの話です。

2007年8月25日(土)、岳人と行って来ました。旅人ももちろん誘いましたが、前日札幌から帰ってきたばかりで疲れていたようで、今回はパス。

青梅駅前のいつものコンビニでオニギリと飲み物を買って、8:56発の奥多摩行き電車に乗ります。電車を御嶽駅で降りてバスでケーブルの滝本駅へ。

滝本駅が標高407m。001 002 003 004 005 そこからわずか6分で標高831mの御嶽山駅へ。

10:00歩行開始。

と言っても、レンゲショウマはすぐそこに咲いています。006 007 008 009 010 011 012 013 014 015 016 017 018

一枚でもお気に召す写真があったらコメントくださいね。

ちなみに今(9/21の時点)は、「オクモミジハグマ」「カシワバハグマ」「ツリフネソウ」「ツルニンジン」などが咲いているそうです。

次に日の出山に向かいます。019

途中で咲いていたお花たち。020 021

岳人はすぐ「読者モデル」をやってくれます。旅人だとなかなかやってくれません。022

11:09、日の出山頂に到着。

我が街、青梅を見下ろしながらオニギリを食べます。023頂上は7人くらい。すいてます。皆さん、遠くの山にお出かけなんでしょうね。

大岳山の特徴ある姿も。024 

一枚とってもらいました。

11:28、頂上をあとにしてつるつる温泉の方に下ります。025

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←わざと一本だけ残したんでしょうね。ちょっと憎い仕業です。

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←ここで山道歩きは終了。

12:25、つるつる温泉到着。028  11月30日まで、駅においてあるクーポンを使えば安く入れますよ。

露天風呂、気持ちがいいです。一日交代で露天も「岩風呂」(和風)と「ジャグジー」(洋風)がありますのでおでかけの際はご注意を。

サウナと水風呂で体をほぐし、風呂上りにはコレ、コレ!029

030 青色の機関車バス「青春号」。今はもう運転していません。排ガス規制にひっかかったようです。10月下旬からは新型が走るようです。

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2007年9月19日 (水)

「百名山を振り返る」その18

83座目:石鎚山・・・2005年10月12日、H副隊長の自宅を出てバスで新大阪から伊丹空港。空路松山へ。松山空港へ降りるまで瀬戸内海の島々を見飽きることがなかった。バスで松山駅へ。JRで伊予西条。特急「しおかぜ」にはアンバンマンの絵が描いてあった。バスで石鎚山ロープウェイ駅へ。ロープウェイで標高1280mの「山頂成就駅」へ。ここでJRに乗っているときにH副隊長にメールで問い合わせた「石鎚神社頂上山荘」に電話して宿泊を予約する。歩き出す前に食堂でウドンを食っていたら「マツケン再婚」のニュースがTVから流れていた。雨こそ落ちていないが、ガスの中を歩く。八丁坂は緩やかな下り。下りきるとあとは整備されたコースの登り。601n0042 一瞬、雲の切れ間から頂上が顔をのぞかせた。やがて「試しの鎖」が現れる。試してみたが大変に疲れるし時間もかかるので、以降の鎖はパスして普通の道を歩いた。14:30、神社と山小屋のある弥山に到着。ザックを置いて、カメラだけ持ち、天狗岳1982mに向かう。両側が切れ落ち、慎重を要する。14:45、天狗岳到着。今日は握手する人がいないので自分の右手と左手で握手だ。Dscf0767_40携帯の電波が通じる。両H君と家族にメール。弥山に戻って小屋で宿泊の手続き。立て替えたばかりの気持ちのいい小屋だ。2階に通され、メシの時間と「日の入り時間に祈祷があるので参加されては」との案内があった。ズボンをジャージに履き替え、荷物の整理。携帯が通じるのも良し悪しで、ついついあちこちに登頂メールを打ってしまう。そんなことをしているうちに夕暮れが近づいてきた。窓の外を見ると晴れてきている。サンダルで外に出てみた。目に飛び込んできたのは夕日を浴びた天狗岳。しばし見とれる。Dscf0768_50まわりもカメラを構える人たちでいっぱいだ。一枚、小屋の前で撮ってもらう。Dscf0769_40 そして日の入りが近づくとまたカメラの列だ。601n0044 601n0045 Dscf0770_50 日が沈んだ頃、「ご祈祷」が始まる。参加してみる。神主さんは若い青年。ヒゲをはやしていた。終わるとメシだ。缶ビールをいただきながら、ゆっくりメシを食う。向かいにすわったご夫婦は50歳前後だろうか、岡山の方らしく、四国・九州・大山の山の話になり、まぁ、旦那がよくしゃべること。こっちもつられて色々話すうちに、先ほどのヒゲの神主さんが「もらいものですがどうぞ」と言って日本酒を振る舞いはじめた。もちろん私もよろこんでいただく。向かいのご夫婦はカップ酒を空けたところだったので、私以上にうれしそうだ。2階の部屋に戻ってもそのご主人は大きな声でまだ誰彼ともなく寝るまでしゃべりつづけていた。トイレに行くため1階に下りてみると、外に出ている人がいたので私も出てみる。新居浜と松山の街灯りが見えている。夕方の景色といい、この街灯りといい、感動ものだ。小屋泊まりは金がかかるがたまにはいいよなー。なかなか眠れなかったが携帯が通じる。眠くなるまでポチポチやっていた。  翌朝も晴れていた。  601n0045_2 Dscf0772_50

日の入りに続いて日の出もバッチリだ。小屋泊まりで今回ホントによかった。朝飯を食った後、下山開始。今日はガスもなく、石鎚を振り返り振り返り下りていく。601n0046 親父が郵便局勤めで切手を集めていて、私も影響を受けて子どもの頃切手図鑑をよく眺めていた。「国定公園」シリーズに石鎚のこの姿があったのを思い出した。ロープウェイで下る。バスがしばらく来ない。お土産屋兼食堂兼旅館のようなところに「立ち寄り入浴」の看板が出ていたので、玄関を掃除していたオバサンに「風呂入りたいんですが」と頼んでみる。「今、抜いたばっかりだけどすぐ掃除してまた湯入れるから待ってて」ということで、食堂で座って待つ。やがてオバサンが呼びに来て300円を払って温泉に入る。サッパリしたところで、まだバスの時間までかなりあるのでビールでもと思って食堂にすわったが誰もいない。全然誰も出てこない。お土産持っていかれ放題じゃないの?留守番なのか客なのかわからない兄ちゃんが隅っこでマンガを読んでいる。「一期一会」なんて額がかかげてあったが、どうしたものか・・・ バス停の近くに行くと酒屋があった。(バスに55分乗るからなー、トイレあるかなー)と酒屋の前でキョロキョロしていると、酒屋のお母さんが「ビールですか」と声をかけてくる。私「ビール飲みたいんですが、トイレは?」 お母さん「向かいにあるよ」 と、道の向こうをみると、お粗末ではあるがトイレがあった。ベンチでビールを飲んでいると酒屋のご主人が現れた。ご主人「一番のバスに乗らなかったの?」 私「ロープウェイの一番のに乗っても間に合わないでしょ」 主「ところが1本その前に動いててバスに間に合うようになっとんだな」 私「そうなんすか」 主「そうだよ、聞いてみなくちゃわかんねーよな」 分かるわけがない。確かに聞いてみればよかった。ご主人はフラフラしてるのかと思ったら、通りかかった車を停めては自分のところの駐車場に車を停めさせている。ちゃんと仕事しているのだった。 待ちに待ったバスがやってきた。ビール飲んだのでバスで爆睡。伊予西条からアンパンマンの「しおかぜ」に乗って松山へ。道後温泉へ伊予鉄で移動。601n0047 「坊ちゃん」で有名な「道後温泉本館」に入る。もっと風情があるかと思った・・・ 松山空港から羽田へ戻る。

さあ、翌日から道東へ家族旅行だ。

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2007年9月18日 (火)

「百名山を振り返る」その17

81座目:剣山・・・05年9月24日、岡山を一番に出る「マリンライナー」で瀬戸大橋を渡る。生涯2度目の四国である。1度目は大学2年の夏。29年ぶりの四国上陸だ。しかも初の瀬戸大橋通過。食い入るように瀬戸内海の島々を眺める。鈍行を乗り継いで阿波池田へ。ここから延々とバスに2時間乗り、またバスに乗り、約3時間のバス旅で見ノ越まで行く予定だったが、バスが途中までしか行かない。なんでも橋を修理中とかで、大型の車は通行止めだと。携帯は圏外。タクシー会社に電話するためによろず屋さんに寄って電話を借りる。1台しかないタクシーは出払っているが「相乗りでもよければなんとかするから、そこで待ってくれ」とのこと。よろず屋さんでお湯をもらって「金ちゃんヌードル」を食べる。しばらくすると相乗りの相手と思われる男性二人組が現われる。 私「すみませんがご一緒させてくださいね」 二人「却って助かります。安くあがりますから」 やがてやってきたタクシーで見ノ越まで。帰りの時間を決めて同じタクシーにお願いする。リフトに乗る。あとは頂上まで30分の歩きだ。ガスっていて風も強かったので早々に頂上をあとにする。Turugi_san_10早めに下りてきたのでウドンを食べて時間をつぶす。タクシー・バス・バスと乗り継いで大歩危からJR。今夜も新大阪でH副隊長に山行報告。痛飲ってのはもう書かなくてもいいですね。

05年10月、初旬から中旬にかけて年休がとれた。同行のH副隊長と宮崎に飛び、えびの高原泊。10月9日、暗いうちに国民宿舎を出発し、韓国岳に向かう。6時、ほぼ日の出とともに頂上に到着。40 Dscf0759_4017年ぶり、2度目の霧島山登頂である。霧島の最高峰は韓国岳だが、高千穂峰にも登りたい。今回は縦走して高千穂まで行くつもりである。Dscf0760_40 

←獅子戸岳にて。Dscf0761_40

←新燃岳の縁から。バックは韓国岳。Dscf0762_40

←新燃岳中央底は青い水をたたえている。 木道が現れ、中岳にさしかかろうとする頃、膝が痛み出した。ペースが落ちた。右手に持つストックによりかかるように下る。高千穂河原に着いたが、バスの時間まで2時間半しかない。 私「H副隊長、悪いが一人で行ってきてくれ。オイラここで待ってる」 H副「そうか、行けるところまで行ってみる」 残ったおにぎりを食べたり、自宅に電話したりして時間をつぶす。駐車場のオバサンの元気で愛想のいいこと。見ていて気持ちがいい。ブラブラしていると「バスに乗るの?バスはそこの停留場から出るよ。今度は○時のだね」と先ほども聞いたのだが、親切丁寧に教えてくれる。1時間半ほどしてH副隊長が戻ってきた。H副「お鉢の上まで出たが、多分間に合わんと思って下りてきた」 私「そうか、すまなかったね。足ひっぱっちゃったな」 H副「なんもなんも」 H副隊長も2年の札幌勤務の経験を持つ。バスで霧島神宮へ。バスを乗り換えてJRの霧島神宮駅へ。JRで西鹿児島へ。ラーメンと生ビール。 指宿枕崎線で指宿へ。圭屋YH泊。目の前の「砂蒸し会館」へ。

翌10月10日、朝一番のJRに乗るべくYHを出ようとするとご主人も起きてきた。世話になった例を述べて、宿をあとにする。下りの一番列車で開聞駅へ。朝日を浴びながら学校の校庭を借りて朝飯のオニギリをほおばる。ここは南国鹿児島。10月でも真夏のようだった。汗をかきかき、ぐるぐるまわりながら登る。海を見下ろすところは、開聞ならではの眺めだ。Kaimon_35 ここも17年ぶり2度目の登頂だ。もと来た道を下る。昨日の膝の痛みはかすかに残るが大丈夫だ。タクシーを呼び、山川港へ。鹿児島空港行きのバス停を確かめて、近くの民宿兼一杯飲み屋さんのようなところに生ビールの立てカンが出ていたので入ってみる。カウンターしかない小さな飲み屋だが、突然の昼間の酒飲み客に親切に対応してくれて、魚の焼いたのも出してくれた。カウンターの向こうでポツリポツリと南国の暮らしぶりをお話してくれた。いい気分でバスに乗り、すぐに爆睡。2時間のバス旅で空港だ。H副隊長は大阪へ戻る。私は福岡行きの飛行機。博多から新幹線で岡山。岡山から「スーパーやくも」で米子。駅前のビジネスH泊。

82座目:大山・・・10月11日、バスで大山寺へ。残念ながら雨だ。お土産屋さんの軒を借りてカッパを着る。一合目・二合目と標柱が現れ、登山者の多さを感じさせる。と思ったとたん、小学生の大集団だ。みんな元気がいい。みんな立って休憩しており、六合目の小屋でどっかり腰を下ろしたオジサン(私のことです)はなんだかとてつもない老人のようだなと思った。八合目を過ぎると木道となり、雨も止んだ。ガスはとれないが、緩やかな木道歩きは快適だった。頂上で20代後半と思われる女性二人とお互いにシャッターを頼むかたちになった。Daisenn

←二人組みに撮ってもらった写真。 オニギリを食べていると二人組の片方が「お兄さんはどこから来たんですか?」 私「お兄さんていう歳じゃないですよ、40代ですから」 女「あらー、若く見えますよー」 私「そりゃあ嬉しいですけどね」 それからいろいろと山の話になった。楽しいひとときでありました。八合目から下はやっぱり雨だった。バスで米子に戻り、JRで出雲市へ。駅前の「らんぷの湯」でスッキリする。バスで出雲空港へ。伊丹へ飛ぶ。新大阪でH副隊長と待ち合わせ。その夜も痛飲したことは言うまでもない。

お断り・・・「その16」まで5座ずつ書いてきましたが、ここ2年くらいの話はまだ記憶に新しいので書きたいことがたくさんあります。そこで今回から2~3座ずつにしたいなと思う次第であります。勝手ながらお許しくださいませ。最後までよろしくお付き合いのほどを・・・

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2007年9月17日 (月)

餘部橋梁

「日本百名山を振り返る」シリーズもあと4回で終わりますが、ここで一息。

このシリーズのため、過去の写真フォルダを開いていたら、このブログで是非紹介したい写真が出てきたので山ブログではありますが「飛行機オタク」「テツ話」にお付き合いください。

2005年8月9日、夏真っ盛り。たった一日の休みだが、餘部橋梁と城崎温泉への旅に出た。

羽田から飛行機で伊丹。次にスッチーが一人しか乗っていない飛行機で「コウノトリ但馬空港」へ。このミニ路線は行きも帰りも上品で素敵なスッチーだった。

バスで豊岡へ。ここからJR各駅停車を城崎温泉・香住で乗り継いで餘部駅に降り立つ。最後は「あまるべロマン号」というリゾート列車だった。

まずは離れて観察。Dscf0698_50

次に近づいて観察。Dscf0699_50

慰霊碑と餘部橋梁。1986年12月28日、強風にあおられた回送中のお座敷列車が転落し、車掌と真下のカニ工場の従業員計6名死亡、日本食堂の従業員とカニ工場の方計6人重傷の大事故を起こしたところである。

合掌。

鉄橋を見ながら食事の出来る店に入る。思わず生ビールを注文。

メシのあと、再度離れて観察。Dscf0700_50_3

餘部駅の少し上に絶好の撮影ポイントがある。列車と橋を合わせて撮るポイントだ。「撮りテツ」ではないので、ここは見ただけ。

なお、架け替え工事が始まっており、PC(コンクリート)橋になってしまう。この写真のままの餘部橋梁はもう見られないであろう。

またやってきた「あまるべロマン号」で城崎温泉へ。温泉を二軒ハシゴする。

クソ暑いのに、いちゃいちゃカップルがたくさん歩いており、温泉→汗→カップルをジトー以下繰り返し状態になってしまった。伊丹まで同じコースで戻る。スッチーの一人乗務は何ともいえませんな。

新大阪でH副隊長と待ち合わせ。山の話と今日のスッチー話で盛り上がり、新大阪構内のなじみとなった焼き鳥屋にて、クソ暑い大阪の夜は更けてゆくのでありました。

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2007年9月15日 (土)

「百名山を振り返る」その16

76座目:四阿山(あずまやさん)・・・2005年7月23日登頂。単独。万座・鹿沢口までJR。タクシーで「パルコール嬬恋リゾートホテル」まで。「パルキャビン」で稜線まで上がるのだが片道900円往復1200円なので、つい往復を買ってしまった。「パルキャビン」は15分で約2000mの高みに連れて行ってくれる。なんでも「関東最長3200m」だそうである。1時間ちょっとで四阿山頂。40 物足りないし、近くに根子岳が見えている。行ってくることにした。H隊員にメール。私「今、四阿山と根子岳の間だ」 H「そうか、今日だったのか。言ってくれればよかったのに」 私「言ったよ。誘ったよ」 H「そうだった?でも、今日は行けなかったけどね」 四阿山と根子岳の間からズリおちそうになった。 気持ちのいい笹原を進んでいくと約1時間で根子岳頂上。菅平から登ってきた人で山頂がごった返している。おにぎりを食べていると「すみません、シャッター押していただけますか?」の声。 私「おにぎり食べてからでいいですか」 全く非常識きわまりないというか、アホというか・・・ 四阿山に戻ってゴンドラで下りてもタクシーを使うことになるので、菅平に下りることにする。こっちの道でも団体さんが多いのは仕方ないとしてもマナーの悪いことこのうえなし。ピッタリ後ろを歩いているのに道を譲る気配全くナシ。ちょっと横に行って抜こうとするとやっと「ハイ、皆さん特急電車のお通りですよ」と言って通してはくれるのだが。かと思うと、ステッキで道端の植物をあたかも目に入らないかのようにグサグサさして歩いていくオバサン。高山植物も雑草も知ったこっちゃない。悲しくなってきたので走って下りる。菅平牧場から菅平高原への道も長かったが、ちょうどバスが来たので上田行きに飛び乗った。

77座目:浅間山・・・浅間山は登山規制が敷かれ、頂上付近は立ち入り禁止となっている。不満の残るところでもあるが、命あっての「百名山」だ。黒斑山に登ってよしとする。05年8月3日登頂。単独。小諸からバスで高峰高原ホテル。そこから歩き出す。浅間がかすかに見えたり見えなかったりしながら1時間半ほどで黒斑山頂。40_2 着いた時には浅間が見えていなかった。あきらめてガスガスと標識だけで一枚撮ってもらったが、帰ろうとする頃、姿を現したので浅間をバックにもう一枚。下りも同じコース。帰りの長野新幹線に乗っていたら地震があってトンネルの中で止まった。間もなく動き出したが、トンネルの中で止まるというのはやはり気持ちのいいものではなかった。

78座目:苗場山・・・05年8月22日、越後湯沢駅に「ぽんぽこ登山隊」三人が集合。H隊員は車で佐野から、H副隊長は草津白根・日光白根に登って前日は湯沢の民宿にとまったそうである。私は青梅からだが寝坊して遅刻してしまった。H隊員号で長野県側の小赤沢に行きそちらから登る。登りは蒸し暑いが、頂上付近に出ると山の上とは思えない高層湿原が広がる。風もさわやか、気分がいい。Dscf0704_40 Dscf0705_40 Dscf0703_40

「ここが?」というようなところに頂上の標識がある。前日22日がH隊員の誕生日である。お茶のペットで乾杯し「HAPPY BIRTHDAY」を唄う。下りも同じ道をとる。少し雨に降られた。温泉に入って汗を流す。H隊員には申し訳ないが副隊長と隊長は生ビールをいただく。ンメーのなんの。Dscf0706_40

次に巻機山に登るべく、新潟県に戻り、六日町から清水集落に入る。私は59座目で過去に二度登っている。 (コチラを参照>>) H副隊長は三日連続で登ったので足が痛いと言っている。明日の巻機はパスするそうだ。予約しておいた「上田屋食堂」に入る。立派に建て変わっていた。お母さんも元気だった。こちらも元気が出る。明日は長丁場だからな。泊り客は我々だけ。風呂に入り、さっそくメシだ。山菜がうまい。接客は主に高校生くらいの娘さんだ。お母さんから言えば孫にあたる。天ぷら・川魚の焼いたの・刺身・なんと言っても山菜。食いきれない。「お勘定、今のうちに」と娘さんにお願いすると、「明日、山に登るんですよね?下りてきてからでいいです」 そうだった。そういえばここはそういうシステムになっているんだった。変わらないなー。なんだかとってもうれしくなった。明日も早い、早めに寝る。  翌朝は大雨。それでもなんとかなるだろうとH隊員と二人出発するべく、H副隊長に別れを告げてH隊員号に乗ったとたん、さらに激しい風雨に。さすがのH隊員もあきらめた。宿に戻り、H副隊長をまた起こし、車に乗せ、「そうだ宿代の精算!」 女将さん(お母さんの息子の嫁)に起きてもらって勘定を払う。巻機には両H君がまだ登っていないのでいずれまた来なくては。またここにお世話になりたいです。

湯沢でH副隊長を落とし、群馬側に出てH隊員と私は四阿山と浅間山(黒斑)をハシゴした。05年8月23日。Dscf0707_40 Dscf0708_40

79座目:焼岳・・・夜行バスで上高地まで行き、前日民宿泊まりのH副隊長と落ち合う。05年9月11日。郵政選挙真っ只中。少し秋めいてきた梓川を田代橋で渡る。ハシゴの登りのところで団体さんの渋滞。若い女性のツアーリーダーがきびきびと仕切っており、気持ちがいい。焼岳登山口から3時間半で焼岳頂上。ここも火山活動中だが北峰頂上には立てる。カメラのメモリを入れ忘れて携帯で撮った写真しかない。601n0038 601n0039H副隊長601n0040 と飲みたいがために、601n0041 青梅には帰らずに名古屋行きの特急「しなの」に乗る。新幹線で新大阪。なじみになった焼き鳥屋で痛飲だ。次の山行きの計画などを決める。

80座目:恵那山・・・「ムーンライトながら」で名古屋に着いた。05年9月23日。新幹線で大阪からやってきたH副隊長と落ち合う。「しなの」に乗って中津川。タクシーで黒井沢へ。快晴だ。気分のいい山歩き。Dscf0741_40 帰りもタクシー。運転手さんの案内で「クアリゾート湯舟沢」へ。風呂上りの生ビールがウメーのなんの。豚角煮もうまかったな。新大阪でH副隊長と別れて私は岡山のビジネスHに投宿。

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2007年9月14日 (金)

「百名山を振り返る」その15

71座目:男体山・・・単独。05年5月24日登頂。二荒山神社から登る。晴れたり曇ったりの不安定な天候の中、中禅寺湖を振り返り振り返り登る。8合目くらいから雪が時々ちらつく。寒くて頂上に長くはいられなかった。二荒山神社に下る。

72座目:岩木山・・・単独。05年5月30日登頂。朝一番の青森行きの飛行機は青森空港の上で45分ほど旋回して、どうにか着陸した。この空港は霧が発生しやすいらしい。バスで弘前。バスを乗り継いで嶽温泉まで。またバスに乗り継いで岩木山8合目まで上がるのだが、このバスは私の他に一人しか乗っていなかった。リフトでさらに登る。そこから歩いて30分で頂上だ。津軽平野、八甲田、青森湾などの眺めが最高。05530_40  同じルートで嶽温泉に戻り、ゆっくり静かな露天に浸かる。弘前駅前で45分くらいバス乗り継ぎの時間があったので30分一本勝負でカウンターで生中2杯飲んで刺身食って帰ろうとしたら、居酒屋の店長らしき人に「料理が口に合いませんでしたか?」ときかれてしまった。「時間がなくてゴメンナサイ。おいしかったですよ」と、こちらがあやまった。飛行機で羽田へ戻る。東京からの日帰り岩木登山でした。

73座目:皇海山(すかいさん)・・・「ぽんぽこ登山隊」三人で登頂。05年6月12日。鉄道と違ってクルマの道はよくわからないが、帰りに通った「栗原川林道」よりもっとすごい林道を通って黒保根の方から皇海橋にたどり着いた。H隊員号が腹をこする度に「ウオーッ!」「ア”-ッ!」と叫ぶH隊員の声が思い出に残る。不動沢コースを鋸山と皇海山の鞍部まで登れば、あと1時間足らずの稜線歩きで皇海山頂上だ。Dscf0661_40 男体・草津白根・燧岳が見えた。まだ雪を残した姿が美しかった。帰りは栗原川林道を通る。悪路で名高いが、朝通った道はこんなもんじゃなかった。老神温泉で汗を流す。この日、横一文字の「虹」が見えた。050612rainbow3

←当日のニュースHPから。

74座目:祖母山・・・05年6月28日。熊本空港からバスで立野。立野から緒方までJR。緒方からはタクシーで尾平。朝から降ったり止んだりだったが、歩き出して間もなく、本格的に降ってきた。雨のためか、意気も上がらず、スピードも上がらない。頂上に達した頃には夕方6時をまわっていた。疲れ果て、暗くなってきて、九合目の小屋の灯りを見つけたときはホッとした。小屋にはカップルが一組。鳥の声を録音しにきたそうだ。だがどう見ても「○倫」カップルだ。男性50代・女性30代。ストーブが赤々と燃えている。ありがたい。三人でビールや焼酎を飲みながら山小屋の夜は更けていく。私は2階へ。カップルは1階で就寝。ここは電波が通じた。家とH副隊長にメール。  翌朝起きてみると6時をまわっていた。しまった、バスの時間に間に合わない。遅くとも5時前には起きるつもりだったのに。小屋の前ではカップルの男性が集音マイク片手に鳥の声を録っているようだった。女性「お酒もいいもんですね!」 私「せっかくお二人のところをお邪魔してスミマセンでした」 お二人に別れを告げ、神原に向け下ってゆく。少し急いでみたが、五合目小屋あたりであきらめた。自然林のなかをゆっくり下ってゆく。なるほどここなら鳥もたくさんいるだろうなー。神原まで歩いてタクシーを呼んで豊後竹田駅へ。駅前の温泉で汗を流し、バスで熊本空港へ。伊丹空港へ飛んで、新大阪でH隊長に山行報告。その夜も痛飲。  その年の12月10日、H副隊長と雪中登山。九合目小屋にはおもしろい管理人がいた。泊り客は我々だけだった。頂上からは雪をかぶった九州の山々が見渡せた。Dscf0841_40  

75座目:武尊山(ほたかやま)・・・北アの穂高と区別するために「上州武尊」と呼ぶことが多い。ぽんぽこ三人はH隊員号で武尊神社へ。この三人で歩く場合は先頭H副隊長・真ん中H隊員・殿(しんがり)私、と決まっている。二人で歩くのと、三人で歩くのとはまるで違う。ここが山パーティの難しくも面白いところだろう。05年7月9日登頂。Dscf0669_40 武尊神社に戻り、裏見の滝を見物し、宝川温泉に寄る。宝川温泉露天風呂は老若男女のハダカ(女性はタオル巻きだが)であふれていた。我々は内湯でサッパリの方がありがたいのだった。

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2007年9月13日 (木)

「百名山を振り返る」その14

「振り返る」シリーズも終盤戦に入ってまいりました。

屋久島の話あたりからは「なーんだ、その話ならクサるほど聞かされたよ」と、おっしゃる方もいると思いますが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

99年7月、旅人(次男)が生まれる。女の子だったら「ひなの」と名づけるつもりだった。

山から遠ざかってはいたが、テツ旅と温泉めぐりに凝っており、日の出山越えでつるつる温泉に行ったりはしていた。山靴を履いて。

04年夏、H副隊長から電話が入った。

H副「久々に会いたいね。話がしたいね」

ということで、私の職場の近くまで来てもらって酒を飲んだ。

私「明日も休み?オイラもだよ。山にでも行かない?」

H副「山は行かんが、温泉でも行くか」

ということで健康ランドで痛飲したのであった。そこで「御岳・日の出」に行こうということになったハズである。多分。

翌週、御岳・日の出からつるつる温泉。温泉にて痛飲す。

私「H隊員も誘って山行こうぜ」

H副「わかったけど、オレは何時間も歩けないぜ。麓で待ってて飲み会だけ参加するよ」

後日、メールのやりとりで安達太良行きが決定した。

04年8月7日、新幹線で福島に向かう途中、H隊員からメールが入った。

H隊員「腰をやってしまった。悪いが麓で落ち合おう。飲み会だけ参加する」

皮肉なもので、麓で待つのはH隊員の方になってしまった。

そういうわけでH副隊長と二人で安達太良へ。Photo

岳温泉でH隊員と落ち合い、本宮の知り合いの寿司屋で痛飲(こればっかし)。次回は谷川へ行こうと話が決まった。

ところが9月からH副隊長が大阪に転勤。谷川の話はお流れ。

大阪に行ったり来たりして引継ぎやら引越しの準備で忙しいハズのH副隊長からメールが、

H副「明日、大阪帰りに品川で降りるのが7時頃。新宿あたりで飲まないか?」

新宿でH副隊長と山の打ち合わせや写真渡しなどでよく行っていた焼き鳥屋「番々」へ。H副隊長が見せてくれたのが「るるぶ新版深田久弥の日本百名山 上・下」

私「おー、ものすごくやる気になってんじゃん!」

H副「ぼちぼちとね」

番々マスター「オレは百名山全部登ったよ」

H・私「エ”--ッ、マジですか?」

番「ホントホント。今年はヒマラヤにトレッキングに行ってきたよ」

H・私「ひえーいざん、えんりゃくじ」

これで私は一気に火がついてしまった。副隊長は「麓で待つ」とか言いながら百名山の本を買ってヤル気になっているし、マスターは百登ったって言うし。

そんなんだからかなりそこで飲んだらしい。H副隊長とはそこで別れた、ハズだ。

気がつくと新宿のカプセルホテルだった。

66座目:蔵王山・・・朝風呂に入り、チェックアウト。向かったのは「ドン・キホーテ」。パーカーを買った。埼京線で大宮。新幹線で白石蔵王。バスで蔵王に向かった。相当な二日酔いであったが、楽しい酒だったので気分もさわやかだった。刈田岳はすぐそこだ。お釜を見下ろしながら、熊野岳に向かう。足元はスニーカーだ。山に行くなんて思いもしなかったから。40分ほどで熊野岳。H隊員に登頂メール。あきれていた。H副隊長は携帯でのメールのやりかたはまだ習得していなかった。蔵王ロープウェイで山形方面に下る。04年9月3日。

67座目:吾妻山・・・04年9月14日。もう完全に「百」を意識しています。「つばさ」で米沢、バスで白布温泉。ロープウェイとリフトで北望台。1時間半で西吾妻山頂。展望はなし。でもうれしくて30分くらい山頂にいた。下りは走るように歩いた。スキップしそうだった。040914

68座目:大台ヶ原山・・・「銀河」で大阪に向かった。04年10月20日、朝、大阪駅でH副隊長と落ち合う。近鉄で大和上市。台風23号が接近してきており、大粒の雨が。バスが動いてない。ここであきらめようと思ったらH副隊長がタクシーを指差す。今から思えばH隊員を上回る「百への執念」である。ザーザー降りの中を車は大台ケ原駐車場に向けて走る。車の中でカッパを着る。タクシーを待たせて出発だ。登り40分。頂上で握手。下りは25分。ちゃんとタクシーが待っていてくれてホッとする。往復26000円。運ちゃんもご機嫌だった。運「一人しか乗ってないと風であおられそうでコワイんで、お二人がちゃんと下りてきてくれてホンマにたすかりましたワ」 調子のいい運ちゃんだった。 新大阪駅構内の焼き鳥屋で痛飲。新幹線が完全にストップしており、新大阪駅はゴッタがえしていた。新大阪のH副隊長宅に泊り、翌日の新幹線で戻った。

69座目:宮ノ浦岳・・・04年12月1日登頂。これについては是非コチラを読んでください。 その後「ぽんぽこ登山隊」三人で05年4月17日にも登頂。Sanntyou_mixi

←05年4月17日。

屋久島の興奮さめやらぬ私たけぱぱは、それから何度となくH副隊長と話したくて大阪に行った。正月は京都で湯豆腐を食った。2月には北野天満宮の梅。3月末では桜がまだだった。4月には京都御所。

70座目:大峰山・・・05年5月15日登頂。この年4月に三人で屋久島に行って、両H君とも完全に火がついたようだった。それぞれ単独で山登りを始めだした。そんな合間にH副隊長宅を朝出発して近鉄・バス・タクシーとつないで、行者還トンネルから往復した。H副隊長の予約したタクシーはちゃんと来たが、行きのバスで一緒だった人が帰りに「オレのタクシーは来なかった」と、トボトボ歩いていたので拾ってあげた。3人で4000円のタクシー代のうち、2000円出してくれた。Dscf0657_40

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2007年9月12日 (水)

「百名山を振り返る」その13

61座目:空木岳・・・忘れていた山登りを富士山で思い出してしまった。東京で会議があった時に山道具を持って行った。会議が終わると、中央線・飯田線経由で駒ヶ根のビジネスHに投宿。91年9月4日、しらび平までバス。ロープウェイで千畳敷へ。宝剣・極楽平・檜尾岳・熊沢岳を縦走して木曽殿山荘泊。平日であったが同じコースをたどった人が10人くらい、やはり木曽殿山荘に泊った。16時頃到着したら小屋のおかみさんに「後ろ何人くらい来るかね?米どれくらい炊きゃいいかなと思って」責任重大だが大体把握していたので「あと3人来ます」とキッパリ答えてしまった。ちゃんと3人来た時にはホッとした。  翌5日、1時間と少しで空木岳頂上だ。眺望は得られなかった。池山尾根を下る。長かった。

バブル絶頂。この年(91年)、夏休みが17日間あった。9月中旬から下旬にかけて北ア大縦走を計画。栂池から歩き出す。北アのメインルートは金さえあれば食い物には困らない。白馬大池山荘でさっそくウドンを食べた。台風17号が近づいており、眺望がほとんど得られなかったが雷鳥のお出迎えだ。登山道を先導するように歩いている。元気付けられて、9月17日、11年ぶりに白馬山頂を踏む。白馬山荘泊。夕食時、生ビールを飲んだ。11年前は生ビール売ってなかったし、買う金もなかったであろう。 夕食後TVを見ていると台風がかなり接近。停滞を決める。眠くなるまでTVを見て時間を過ごす。夜中にだんだん風雨が強くなっていったのが音でわかった。 翌朝停滞を小屋の人に告げ、一泊三食分の金を払う。TVを見たり、昼寝をしたりして時間をつぶす。夕方、少し晴れてきたので宿のサンダルのまま頂上へ行ってみた。同じく停滞していた人たちがほとんど顔を揃えた。 翌日、台風は遠ざかったがまた雨だった。カッパを着込んで出発。やがて止んでくれたが、つぎに不帰の嶮が控えている。天狗の頭あたりからはガスも晴れてきて、これから歩く稜線が少しだが見えている。「よし、いくぞー」と気合を入れ直して天狗の大下り。Ⅰ峰を越す。Ⅰ峰とⅡ峰のコルからⅡ峰への登りが不帰の嶮の最も緊張するところだ。左側がスパっと切れ落ち、桟道や鎖の連続だ。Ⅱ峰を過ぎてしまえばそれほどでもなくⅢ峰。唐松の頂上はすぐだった。ホッしたところで弁当を食う。快適な稜線歩き。19日の正午近く、4年ぶり二度目の五竜頂上。眺めは得られないが、やっぱり百名山の頂上。気持ちがスカっとする。二時間半ほど下ってキレット小屋。メシがうまい。ここでこの先どうするか考えたが、船窪岳と不動岳の間は危険のようなのでそこの箇所は一旦大町に下りることにする。 翌20日、快晴だ。八峰キレットはガスっていないと怖いことを初めて知った。4年前は雨の中でとにかく足元しか見えなかった。登りに登って4年ぶり三度目の鹿島槍だ。先ほどから黒部の谷を隔てて剱・立山が見えていたが、やはり高いところからの眺めがいい。冷池から爺ヶ岳へかけての稜線はいつ見てもいい。北アでもっとも好きな眺めの一つだ。種池まで来て少し迷ったが、天気もいいので針ノ木まで行くことにする。針ノ木からの眺望も素晴らしい。針ノ木小屋では三人部屋だった。小さな窓からまだ剱・立山が見えている。 翌日、針ノ木峠から大町に下る。明日のタクシーの予約をしてビジネスHに投宿。最上階に大浴場があり、真っ先に風呂だ。5日間の汗を流す。  9月22日、タクシーで七倉へ。車道を歩き、高瀬ダムからいよいよ急登で名高い「ブナ立尾根」だ。25分から30分歩いたらキッチリ5分休むというペースを守り、約5時間かかり、稜線に出た。烏帽子の頂上を踏み、烏帽子小屋泊。ここでH隊員と同じ苗字のお嬢さんと明日黒岳まで一緒に行くことになった。北穂の小屋でバイトしたこともあるというので、かなりのヤマヤさんとお見受けした。

62座目:黒岳・・・H嬢は私の後ろを少し離れて付いて来る。それでも休憩になれば一緒のところで休み、山の話や仕事の話など。松本市内に住む広告代理店勤めのOLさんだそうである。野口五郎岳通過。後日、清水の事業所に帰って「野口五郎岳に登ってきたよ」と言ったら「そんな山あるわけないじゃん」と言われた。  このあたりは静かだった。9月下旬ということもあるのだろうが。曇りだったが近くの山はきれいに見えていた。2986mの黒岳(水晶岳)に登頂。写真を撮り合う。H嬢は苗字がIさんになって高円寺で二児のお母さんとなっています。

63座目:鷲羽岳・・・黒岳から1時間ほど下ったところでH嬢は雲の平へ。私は鷲羽へ。手を振って別れる。いつか雲の平にも行ってみたいなー。と思っているうちに雨が降ってきた。鷲羽の頂上で自分で腕を伸ばして撮ったアップの写真しか残っていない。三俣山荘泊。

64座目:黒部五郎岳・・・この日は朝から雨。ほとんど誰にも合わず。やけのやんぱちで「SAY YES]を熱唱しながら歩く。黒部五郎小屋で雨宿り&弁当タイム。黒部五郎のカールにはまだ雪が残っていた。雨の黒部五郎岳頂上。北の俣岳を下る頃、ようやく雨が止んだ。太郎平小屋は泊り客は私だけ。小屋でタクシーの手配を頼む。晩飯はTVの前に用意してあった。  翌朝もTVの前で朝食。天気予報を見ながら。折立へ1時間くらい早く着いたがタクシーはすぐやってきた。有峰口から富山地鉄に乗り、富山から名古屋まで在来線特急。新幹線で静岡に戻った。

まだ休みが一週間残っていたので久しぶりに札幌の実家に帰ったら「彼女連れてくるのかと思った」とか「会社クビになったのかと思った」とかいろんな言われ方をした。そういえば7年ぶりだった。

1993年、嫁さんをもらい、青梅に住んだ。

1995年、岳人が生まれた。女の子なら「粋華」(スイカ)にしようと思ったが男だった。

92年から94年にかけてあちこちにカミさんを連れて行ったが、富士山や尾瀬にも行きましたよ。サイパン・グアム・ハワイ・ニューカレドニア・タヒチ・香港・ヨーロッパ。バブル絶頂でしたね。

96年、テツ心に火がつき、18きっぷや周遊券を使う旅行をし始めた。山は少しお休みだった。

65座:草津白根山・・・97年8月29日。山を忘れていたわけではない。18きっぷを使って長野原草津口。JRバスで白根火口。湯釜を見てから山に向かった。コマクサ情報を仕入れずに行ったのでコマクサの大群落にぶったまげた。どこが頂上かわからなかった。地図を見て「行けないんだ」と思ったら、なんだか面白くなかった。まだ若かったのか・・・ 今年(07年)7月26日にはコマクサ目当てに登りました。

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2007年9月11日 (火)

「百名山を振り返る」その12

56座目:安達太良山・・・1989年5月3日、H副隊長と。現在はゴンドラで一気に薬師岳まで連れて行ってくれるが、当時は地蔵リフト・烏川リフトを乗り継いで30分ほどの歩きで薬師岳に着いた。ここから約1時間で安達太良頂上。乳首山の別名通りの頂上だった。くろがね小屋方面に下り、奥岳から岳温泉までバス。岳温泉で汗を流した。04年8月7日、H副隊長と登頂。Photo

←04年8月。   06年11月5日、家族4人で登頂。

57座目:伊吹山・・・89年5月。単独。東海道夜行を米原で降り、二駅戻って近江長岡。バスで伊吹山神社へ。ここから3時間の登りで頂上。途中何度も振り返る。「稲田に山」がまるで「海に浮かぶ小島」のようだった。伊吹山ドライブウェイを使えば苦もなく登れるが、是非伊吹山神社から登って「正しい日本の風景」を確かめて欲しい。出来れば花の時期に登りたい。

1989年、会社の懸賞論文で通ってしまい、夏休みをつぶしてアメリカ・カナダへ会社の連中と行くことになってしまった。88年の富良野~大雪縦走が自信となっていたので南ア大縦走の計画を立てていたのだが・・・

同じ年、7月末に異動があり、本社勤務となってしまった。困ったのは連休がなく、日・水休みなのだった。

58座目:磐梯山・・・89年10月22日。5ヶ月ぶりの登山はH副隊長と磐梯へ。猪苗代湖側から登った。秋晴れの一日。360度のパノラマは下りてしまうのがもったいないような素晴らしさ。土湯峠に下った。郡山の昔なじみの寿司屋で飲んだ。マスターの相変わらずのアンチ巨人ぶりに胸がスッとした。

89年の年越しはH副隊長と中国だった。ツアーで一緒だった人たちとホテルのレストランでカウントダウン。1月3日、31歳の誕生日は上海のレストランで祝ってもらった。

1990年、本社勤務が続いた。仕事は順調だったので苦痛ではなかったが、山からは遠ざかった。同僚に海好きの人がいて、夏休みはその人とニュー・カレドニアに行った。

59座目:巻機山・・・90年8月23日、夏休みの最後の2日間を利用して巻機に登った。単独。前日、六日町からバスで清水集落へ。バス停のまん前にあった「上田屋食堂」に飛び込む。親切な民宿でその後も2度利用させてもらっている。山菜がウマイ。「次の日朝早いから」とお金を払おうとすると「帰りにまた寄って風呂に入って下さい。そのときでいいです」というシステムである。これにはまいった。うれしいのである。  次の日、約8時間かかって登頂・下山。風呂に入り、小茄子の漬物をご馳走になり宿のおかあさんと話しながらビール2本飲んだ。漬物はお代りをした。   翌90年にも全く同じコースで同じ宿であったが、違ったのはお母さんがいなかったことだった。心配して息子さんにきいてみたら「お母さんは元気だが、お父さんが入院していて病院に行っている」とのことだった。お父さんには申し訳ないが安心した。  06年8月、H副隊長・H隊員と三人で登ろうと16年ぶりに上田屋に行ってみると少し上の方に立派に立て替えて建っていた。迎えてくれたのは息子さん・お嫁さん・子ども達だったので、お母さんがどうなったか気になったが、窓の外を見ると畑仕事をしている姿があった。うれしかった。次の日は大雨で敗退。

90年の年越しは前記の同僚とタヒチ。年末年始のタヒチは高かったが、独身貴族にはそれくらいの余裕があった。バブル絶頂。今よりも貰っていたかも・・・

91年1月3日、32歳の誕生日だ。成田から家に帰ってみると留守電に部長の声で「○○君、清水の○○担当だ。1月7日付。以上」と入っていた。

60座目:富士山・・・清水の事業所からは間近に富士山が見える。冬は特に毎日きれいな白い姿が。  91年8月に富士宮口から登る。平日なのでそれほど混んでいなかったが9合目の山小屋は混んでいた。一つの布団に三人。寝られるもんじゃない。メシは夜カレー(多分ボ○カレーだ)、朝はおかずが玉子と海苔とあとわずか。おかわりなし。富士は日帰りか夜間登山を選んだ方が賢明だ。2時頃ご来光目当てに出て行く人が多かったのでそれからは眠れた。メシのあとゆっくりお鉢を一周した。頂上の郵便局からあちこちにハガキを書いた。今ならメールだろうな。頂上に立ったときはさすがに嬉しかった。日本で一番高いところですからね。下りも富士宮へ。  翌年8月にも結婚前の女房と登頂。5合目では「なんだ、けっこう近いじゃん」と言っていたが、8合目あたりから「疲れたよー」を連発していた。H隊員は今年夫婦仲良く登るらしい。喧嘩しないで仲良くね!

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2007年9月10日 (月)

「百名山を振り返る」その11

51座目:蓼科山・・・88年9月9日、18きっぷが一枚残っていた。当時は南武線の武蔵小杉に住んでいたので、立川から中央線・小海線経由で上田へ。バスで蓼科へ。立科白樺高原YHに宿泊。暴露話になるのでくわしくは触れられないが、H隊員との思い出がつまったYHである。翌10日、明るくなると同時にYHを出て、思い出の詰まったスキー場のゲレンデを登っていく。7合目まではバスも通う。ここから2時間ほどで頂上。頂上は岩だらけで、神社あり、ヒュッテあり、やぐらの下に三角点あり、で軽装の登山客か観光客かわからないお姉さん達がたくさんいた。白樺湖方面に下る。

52座目:飯豊山・・・88年9月13日、三連休がとれたので飯豊へ向かった。東北新幹線で郡山。磐越西線で山都。バスで川入。「少し山に入って小屋泊り」と考えていたが、あてにしていた小屋が休業でまた下って、キャンプ場にでも泊ろうと思って管理棟をのぞくと誰もいない。そのうち日も暮れたのでここで寝かせてもらうことにする。夜中に誰か来た様だが起こされる気配もなく、またそのまま寝てしまう。翌14日まだ暗いうちにシュラフを出て歩き出す。昨日少しでも山に入りたかったのだが・・・その分、今日は長丁場だ。テントこそ入っていないが、シュラフと二日分の食料・ビールが入ったデカザックを背負っている。長坂尾根の標高差600mを一気に登る。ここからはのんびりした道もあり、お花畑あり、雪田あり、鎖場あり、変化に富んだ楽しいコースである。「飯豊は飯豊すね」さもありなん、というところであろうか。平日のためか、2105mの飯豊山頂には他に誰もいなかった。ここは豪雪地帯らしく9月のこの時期でもたっぷりと雪が残っている。雪田を見ながら稜線を御西小屋まで歩く。御西小屋にザックを置いてカメラだけ持って飯豊連峰の最高峰である大日岳に向かう。すでに10時間くらい歩いているので、ゆっくりと静かな山を楽しみながら。大日岳での眺めは得られなかったが、はるばる来たぜと思わせる人工物の何もない山歩きを楽しめた。御西小屋に戻ると15人くらいの泊り客。酒盛中か睡眠中だ。こちらも雪田で水を汲んでラーメンを作る。ビールの500m缶で一人乾杯だ。「居酒屋兆治」という健さんの映画のラストに「元気出していこうぜ!」と鏡に向かって自分と乾杯するシーンがある。健さんになりきって自分と乾杯する。話はそれますが、H副隊長は日本映画の大ファンで語らすと止まらない。私もクロサワと健さんは大好きで、銭函・増毛・上砂川・函館などは健さんになりきって街を歩いてしまうほどである。話を元に戻す。昼間はあまり眺望を得られなかったが、外に出てみると新潟の街灯りが見える。美川憲一の「新潟ブルース」が口をついて出た。   翌15日は雨。梅花皮岳・門内岳のピークを踏んで梶川峰を飯豊温泉に下る。バスで小国に出て米坂線に乗り坂町へ。この米坂線は飯豊すよ。情緒があって。

53座目:那須岳・・・88年の10月だと思う。各駅で黒磯。バスとロープウェイとちょっと歩いて茶臼の頂上へ。帰りも同じコース。深Q先生の本では茶臼をもって「那須岳」としているが、三本槍の方が標高が高い。スッキリしないので今年(07年)5月にオフ会山行で行っておこうと計画したが、強風のためあえなく敗退。6月に一人で登って、ようやくスッキリしました。

怒涛の1988年は百名山を31座登ったことになる。この他にも46・47座目の富良野~大雪縦走のところで旭岳のピークを踏んでいる。9月に入って台風やソウルオリンピック(出場したわけではない。念のため)などもあり、山行きはパタっと止まってしまった。いろんな要因はあるのだが、いまではこう思う、

「よだきんぼの風が吹いた・・・」

89年2月、往復の航空券だけを買い、一人でパリに行ってみた。バルセロナにも行ってみた。詳細な日記があるのでいずれはここで発表しますが、ここで言いたかったのは「モンブランを見にシャモニーに行きました」ということです。山への情熱はけっして衰えてはおりませんでした。

54座目:天城山・・・89年のスタートは天城。3月22日、雪がちらつく中を登った。ヒメシャラの木が印象に残る。帰りのバスがなくて、ゴルフ場に酒を納品に来ていた軽トラに乗せてもらった。お礼を渡そうと思ったら「その分、また楽しい旅を続けてください」と断られた。かっこいい兄さんだった。

55座目:両神山・・・89年4月11日、清滝小屋に泊った。誰もいなかった。夜中に雪が降ってきた。眠れなくなったがラジオを持っていたのが救いだった。翌12日、うっすらと雪が積もった中を山頂に向かう。今では通れない白井差のコースから下った。

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2007年9月 9日 (日)

「百名山を振り返る」その10

一部の方から「20歳のときに北海道で知り合った女性」についてのありがたいコメントをいただきましたが、妙高に登っていた頃はすでに女性は二人とも結婚していました。H隊員も結婚していました。でも、いまだに賀状や旅行先からの絵ハガキなどは続いています。

46座目:十勝岳・・・1988年8月17日。H副隊長と夏休みを合わせて北海道に向かった。旭川行きのJASの飛行機からは羊蹄・大雪・日高はもちろん利尻まで見ることが出来た。旭川空港から十勝岳温泉までタクシー。ポリタンクに水を汲んでザックに収め、歩き出したその一歩の衝撃が今もって忘れられない。「こんなに重い荷物背負って5日間も山の中を歩けるだろうか・・・」 テント・シュラフ・5日分の食料・ビール4本・キャンピングガス・ランタン。25キロほどあった。一人では背負うのに手間がかかるので横に置いたザックに仰向けに寝転がって腕を通し、靴をH副隊長が踏んで手を引っ張って起こしてもらった。CT以上に時間がかかって富良野岳に着いた。イワギキョウの青、シマリス、キタキツネが北海道の山にいることの喜びを感じさせてくれる。上ホロカメットクの避難小屋に着いたのは午後6時半、まさに日が沈むところであった。「こんなペースじゃあ、計画変更せざるをえないね」と、意見が一致。ただし、旭岳まではなんとしても行きたいね、とも。雪で冷やしておいたエビスで乾杯だ。湯煎のチンジャオラオスーと白米・味噌汁だけの夕食だが「ご馳走」だと思えるから不思議なもんである。夜は寒いくらいになって、セーターのままシュラフにもぐりこむ。   翌朝の挨拶「眠れたか?」「ああ、眠れたよ」8月18日、インスタントのチキンライスで簡単に朝食を済ませて出発だ。砂礫が剥き出しの道は火星を思わせる荒涼とした眺めだ。1時間ほどで十勝岳頂上に到着。H副隊長と固い握手だ。その後、十勝が噴火してニュースになるたびにこのときのことを思い出す。  美瑛岳への道では間違って道でないところを通って頂上にたどりつく。後ろから歩いてきた人が同じように道でないところを歩いて来ようとするので大声で「違う、こっち、こっち!」と誘導する。美瑛岳でH副隊長にもらったコーヒー牛乳は死ぬほどうまかった。このあたりからナキウサギの「ツピッ、ツピッ」という声が聞こえだす。実物も何度も目にする。昼飯は鶏雑炊だ。卵混ぜて食ったらそれはご馳走だった。美瑛富士ではエゾコザクラの絨毯。その当時にデジカメがあったならここだけで20枚くらい撮ったかもしれない。この日は双子池にテントを張る。夕食はカレー。H副隊長はウイスキーのポケット瓶を持ってきている。エビスのあとで少しだけおすそ分けにあずかる。

47座目:トムラウシ・・・8月19日。朝食はカツ丼だ。この当時はコーヒーでなくて紅茶を飲んでたな。朝飯のあとに砂糖たっぷりの紅茶。至福のひととき。 テントを撤収。少し降っていて雨カッパを着ての出発となった。テントも濡れて重さを増している。しかし、なんだか慣れというか調子が出てきたというか、荷物も少しずつ軽くはなってきているし、ザックもひとりで背負えるようになってきた。小雨の中、軽いアップダウンを繰り返し、二つ沼で昼にする。まだ10時だけど。山菜雑炊、ことわるまでもないが全部レトルトですからね。ナキウサギに励まされ、イワイチョウの大群落に励まされ、三川台には11:50着。もうすぐトムラウシだ。このアイヌ語そのままの山名に「北海道の山!」を感じない人はいないだろう。沼のほとりをいくつも通過して14:20、トムラウシ到着。恒例の固い握手だ。30分ほど頂上にて時間を過ごす。天候も回復してきた。3時間ほど歩くとヒサゴ沼。ここの小屋は混んでいそうだったので小屋前にテントを張る。沼の周りは全てナキウサギの住処だ。ずーっと鳴き声がきこえている。思い切り冷やしたビールで乾杯だ。夕食はそうめん。たくさん持っていったつもりだったが、飛ぶように売れた。    翌朝、食べ過ぎたのかどうかお腹の調子が悪い。横になってうなっていると心配したH副隊長が「ここで下りてもいいよ。無理すんな」と声をかけてくれる。私「悪いなー。もうチョット待ってくれないか。たいしたことはないよ」 トイレに何度も行っているうちに回復してきた。2時間半くらいお待たせしてテントを撤収。お茶漬けもほとんど食えなかったのでフラフラだ。しかし、ナキウサギとお花畑に元気づけられ1時間で化雲岳。ここから五色岳にかけてのお花畑もすばらしかった。なにがすごいかというとチマチマしていなくて同じ花がずーっと見渡す限り咲いていたりするのだ。唖然・圧倒という字が浮かぶ。「ヒグマ出没注意」の看板が目立つようになる。ラジオの音を大きくする。忠別小屋近くの雪解け水がうまかった。小屋でインスタントラーメンの昼食。このとき食ったラーメンが今まで食ったラーメンの中で一番うまい。こんなラーメンはそうそう食えるもんじゃない。ラーメンで元気回復。忠別岳頂上には13:50到着。今朝の出発遅れで旭岳まで行けるかどうか心配になったがこの調子ならなんとかなりそうだ。なんとか今日中に白雲小屋まで行ってしまおう。今にもヒグマが出そうな道。鳥が飛び立つ「バサバサッ」という音にも飛び上がってしまう。足元には踏みつけそうなくらいにコマクサが咲いている。また逢いに来るまで、どうか盗掘されたりしませんように。17:45、白雲小屋に着いた。テントサイトもよさそうだったが、撤収を考えると気が重い。私「テントがいいか、小屋がいいか?」 H副隊長「任せる。どっちでもいい」 小屋泊まりにした。残っている食料はカレーと親子丼。私「どっちにする?」 H副隊長「任せる。どっちでもいい」予想通りの答えである。わかっているならきかなくてもよさそうなものだが、このあたりが「阿吽の呼吸」というヤツである。カレーにした。これで明朝は親子丼に決定だ。明日は6時間ほどの歩き。毎日12時間くらい歩いていたのに比べれば楽勝だ。トイレに行くため小屋の外に出ると、月明かりに浮かぶ山の姿が幻想的だった。「あー、今オイラは山に抱かれて眠ろうとしてるんだなー」と、感傷的になるのでした。   翌日は雨。小屋泊まりにしておいてよかった。雨の中のテント撤収はツライのだ。5:30出発。6:45白雲岳。8:00北海岳。Photo 8:50、間宮岳。頂上直の雪渓を登れば旭岳、9:40到着。ガッチリ握手だ。11:10頃、姿見駅に到着。缶ビールとソバで乾杯だ。「お疲れさん!」  ロープウェイで下り、温泉で5日間の汗とドロを流し風呂上りにまた乾杯。バスで爆睡して、旭川の「松尾ジンギスカン」でまた乾杯。生ビールがンメーのなんの。 ここでH副隊長とお別れ。H副隊長は旭川空港へ。私は網走へ向かう列車に乗るのでありました。

48座目:斜里岳・・・8月21日は網走駅前のビジネスH泊まり。翌22日、12:00釧網本線を清里町で下りて、まっすぐの道を登山口に向かって歩く。途中で直角に曲がり13:50に登山口に到着する。10分ほど歩いていると車が横に来て止まり「上まで行くの?」 私「乗せてくれますか?」地元の写真愛好家だそうだ。助かったー。何しろ大荷物でヘタっていたのだ。15分で清岳荘に到着。ジャージ姿の管理人さんにお金を払い、700円の熊鈴を買い、小屋の隅っこに収まる。ビールを飲みながら本を読むが、ビール1本はあっと言う間だ。今日の宿泊客は自分を入れて7人。残っていた湯煎の白ゴハンにお茶漬けでメシをかきこんで寝る。沢の音をききながら心地よい眠りにつく。  8月22日、4:10シュラフから出る。4:35出発。サブザックにカメラ・水筒・フルーツ缶・雨具・ガイドブックだけ。昨日買った熊鈴もつけて。一人もくもくと歩く。沢沿いの道はだんだん上へあがるにつれて何度も沢を渡り返す。ちょっとした沢登り気分である。小滝も連続、なかなか楽しい道である。だんだん流れが細くなり、ガレ場になって6:30馬の背に出る。6:40斜里岳頂上。オホーツクが見えた。知床の山々の眺めを期待したが、少し見えた程度だった。来た道を戻り、小屋でラーメンを食べてから下りについた。網走からは特急で札幌。札幌から「北斗星」のソロで帰った。初めて乗った北斗星で楽しむ間もなくシャワーを浴びてグッスリと寝てしまった。

49座目:北岳・・・88年9月2日の信州夜行で甲府へ。タクシー相乗りでまだ真っ暗な広河原に着く。メンバーはH副隊長と私。 9月3日、ヘッドランプを点けて歩き出す。ほとんど眠っていない私はもうろうとしたまま歩いている。八本歯のコルへ向けてフラフラ歩いた。明るくなるとハシゴなどが現れて少しシャキッとする。とにかく眠かった。写真が残っているので間違いなく行ったはずだが北岳の印象はあまりない。北岳山荘で水を買ったのは覚えている。

50座目:間ノ岳・・・北岳から中白峰を過ぎて間ノ岳への登りにかかると雷が鳴り出した。だんだん近くなり、足元で鳴り出した。私「どうする、オイラに任せるか?」 H副隊長「任せる」 雹が降り出す中を少し下って岩陰に隠れる。風の加減で雹が吹き込む。雹がH副隊長の顔に突き刺さるようだ。(あれほど帽子持って来いって言ったのに・・・) 私「帽子貸そうか?もう一つあるよ」 H「大丈夫だ」 岩手県人は口数が少ない。やがて雹もやみ、歩き出す。みるみる雲が晴れ、一瞬だが山並みが見える。間ノ岳頂上でガッツポーズをした写真が残っている。区切りの50がやっぱり嬉しかったんだろうなー。下るほどポカポカになってきて着ていたものも乾いてくる。振り返るとデッカイ間ノ岳。農鳥小屋ではストーブが燃えていた。濡れた靴下を乾かす。日本酒をちびちびやりながら「さっきの雷は怖かったなー」とひとしきりその話題だ。メシを食い終わったとたんに寝た。夜中にトイレに起きた。寒かった。満天の星だった。が、寒かった。   翌日、農鳥に登り「大門沢下降点」ではここで降りないとこの先には塩見が続いているんだなーと思った。(それから本当に塩見に登るまで19年もの歳月が流れようとは・・・) 奈良田に下る間二人で「早くビール飲みたい」とか「ウグウグしてぇー」とか、昨日の恐ろしかった雷は全く忘れたようだった。奈良田で250円の温泉に入ってから生ビールを飲んだら当たり前だがうまかった。

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2007年9月 7日 (金)

「百名山を振り返る」その9

41座目:赤城山・・・谷川岳に登ろうということで当時埼玉県の社宅に住んでいたH隊員の家にH副隊長とお邪魔して軽く宴会。翌日(88年7月16日)は雨。予定を変更して赤城へ向かう。この日はずーっと雨。頂上でも雨。大沼に下り、伊香保温泉に立ち寄り。帰りは半分H副隊長が運転した。その後、運転するH副隊長は今に至るまで見たことがない。

42座目:木曽駒ヶ岳・・・88年7月19日、15:05に千畳敷から歩き出す。16:00、木曽駒山頂到着。「頂上山荘」「宝剣山荘」ともに中学生で満員。「天狗荘」にも中学生がいたが、ここには一般の登山客も20名ほどいて、ここに泊めてもらうことになった。翌日、宝剣に向かう道も中学生であふれていた。宝剣頂上は流石に静かだったが。07年7月29日にもH隊員と登頂

43座目:火打山・・・今年(07年)も梅雨明けが8月までずれ込んだが、この年(88年)も8月まで梅雨明けしなかった。8月の2・3日で火打・妙高の計画をたてているところにH隊員から電話があり、「北アにでも行かないか」と。夏休みがとれたらしい。どちらにしても私は二日しか休みがないので火打・妙高に付き合ってもらった。前日、上野から旧「あさま」に乗り、途中からH隊員が乗ってくる。翌日、妙高高原で降りて、バスで笹ヶ峰牧場へ。ここから登山開始だ。梅雨明け間近の登山道はポカポカで気分は最高。長靴のボッカのおじさんも顔がほころんでいた。女性グループが手を広げて、ニッコリ「男の人はちょっと待っててください」というくらいのノンビリした山歩きだった。火打の頂上直下ではバテ気味だったが頂上で飲んだビールは格別だった。8月2日登頂。高谷池付近のお花畑は見事というしかない。この頃、山で唄う歌はトシちゃん(田原俊彦)だった。丸い黒沢池ヒュッテは居心地のいい小屋だった。

44座目:妙高山・・・朝飯はカップラーメン。蒲焼の缶詰が食いきれず残ってしまい、テン泊のお兄ちゃんに残り物をあげていたH隊員の姿を生々しく覚えている。この日は雨こそ降らないもののガスガスで眺望は得られず。妙高登頂8月3日。燕温泉に下る。「露天風呂に入ろう」というH隊員だったがまだ露天に目覚めていなかった私は「普通の風呂」のほうが好きで旅館の内風呂に二人で入った記憶がある。風呂上りにサテンでビールを飲みながら、20歳のときに北海道で知り合った女性に絵葉書を書いた。

45座目:薬師岳・・・寝台特急北陸で富山に早朝着。バスで折立まで。この頃は絶好調で、特急電車のようにゴイゴイ登った。太郎平付近にはウジャウジャ登山者がいたが、薬師方面に向かうと少なくなった。薬師岳山荘はキビキビし女主人が前面で仕切っており、見ていて気持ちがよかった。夕飯の前に頂上を踏んでくる。88年8月10日。ここのメシは最高でした。夕飯も朝飯も。朝飯前に再び頂上を踏んでくる。翌週に富良野~大雪4泊5日のテン泊縦走を控えており、気合のみなぎる山行となった。なんといっても小屋が居心地よかった。

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2007年9月 6日 (木)

「百名山を振り返る」その8

36座目:美ヶ原・・・88年6月下旬。霧ヶ峰の続き。バスを美ヶ原牧場で降りて、王ヶ頭に向かう。高原歩きは気持ちよかったが、王ヶ頭の山頂にはホテルがあり、電波塔も林立。山頂の石の標柱もホテルの裏のようなところにあって可哀相だった。百名山の頂上としては最も可哀相な場所にあると思う。

37座目:早池峰・・・88年7月1日。仕事を終えて上野駅に直行。H副隊長と寝台下段で盃を傾ける。途中駅のホームのお仕事帰りの方を眺めながら(眺められながら)飲む酒は申し訳ないくらいウマイ。翌2日、花巻の駅で降り、バスで河原の坊まで。お湯を沸かし、カップ味噌汁とおにぎりの朝飯。小田越から登る。花の時期には少し早く、ハヤチネウスユキソウは確認できなかった。2時間くらいで神社と避難小屋のある頂上に着いた。物足りないので鶏冠山経由で岳集落に下りる。岳で酒屋か食堂を探したが見つからない。歩いていたおばさんに「ビール飲みたいんですけど?」と、きいてみる。おばさん「どこでもいいから宿坊のぞいてごらん。人がいればビール飲めるから」 一軒の宿坊で「すいませーん」と声をかけると腰の曲がった婆さまが「ハイハイ」と出てきてビールとつまみを出してくれた。玄関先で飲んだビールは胃の奥にしみた。ビール二本で1000円払って帰ろうとしたら婆さまがお釣りを出そうとするので「いいです、いいです」と言って二人で逃げるように宿坊をあとにした。後ろから「こんなにたくさんスイマセン」と言う声が聞こえた。花巻温泉に浸かりに行った。

38座目:月山・・・単独。88年7月6日、今度は夜行を鶴岡で降りた。湯殿山神社から登る。雪がたっぷりと残る。さすが豪雪地帯だ。神社のある頂上には白装束の団体さんがたくさんいた。8合目のバス停で2時間近くバスを待った。羽黒山にも参詣して(信仰心は全くない)、鶴岡に戻る。帰りは長岡から新幹線グリーン車。寝台とグリーンに乗れる割と安いきっぷがあったのだ。今ではみかけないが生ビールをワゴン販売しており、思わず財布を出してしまった。

39座目:立山・・・単独。88年7月12日朝「アルプス」を大町で降り、「アルペンルート」を乗りついで室堂まで。雪の残る立山一帯の景色とサンダルやパンプスの観光客が不釣合いである。しかし、室堂では山ヤさんの方が少数派だ。山道に入ってしまえばそこそこ静かだが、立山までは登山客も多い。3003mの雄山にはウジャウジャと。雄山から15分で最高峰大汝山3015mだ。大汝を過ぎて剱に向かうと急に静かに。剱沢小屋も平日だからだろうか、スキー合宿の学生以外には宿泊客はいなかった。この小屋もメシがうまかった。

40座目:剱岳・・・剱沢小屋で朝食を食べてすぐ出発。快晴だ。誰も歩いていない。鎖場を通過するのももどかしく剱岳山頂へ。88年7月13日。360度の展望。ほぼ雲ひとつないドッピーカンだ。富士も南アも八ツも。鹿島槍・五竜・唐松・白馬。頂上で1時間ねばった。やっと登山者があらわれたので名残惜しい山頂をあとにする。剣御前小屋から下りた雷鳥沢には本当に雷鳥がいた。ミクリガ池まで下りると観光客の世界に戻る。大観望の食堂でウドンを食べていたら北アのとある小屋の方に声をかけられた。「剱岳に登って来た」と言ったら「いままでどこに登った?」などと話がはずみ、お茶を何杯もおかわりしてしまった。

1988年はまだまだ続くのである。

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台風9号、関東直撃!写真追加。

写真は我が家のベランダから撮りました。

本日(9/6)の6:40の多摩川の様子です。

小学校は休校になりました。

御嶽~奥多摩間は電車も止まっているようです。

Dscf1721_40

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9月7日(金)追記:一夜明けた多摩川の様子です。

川幅いっぱいに水が流れています。

ゴウゴウと音を立てています。Dscf1723_40

Image_145_50

←普段の様子(今年4月撮影)

Dscf1724_40

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←9/7鮎美橋から撮影

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2007年9月 5日 (水)

「百名山を振り返る」その7

31座目:燧ケ岳・・・H副隊長と二人。前日大清水まで入り、大清水小屋に泊まる。翌日88年5月15日、真っ暗な中を出発。三平峠からは雪がたっぷりと残る。尾瀬沼のほとりを歩く。燧新道を登る。かなりのラッセルを覚悟したが、踏み跡がしっかりついており、それほど苦もなく俎嵓2346mに登頂。スキーを背中にくくりつけて登ってくる人があとを立たない。こんな雪の中をけっこうみんな登るんだなー。次に柴安嵓2360m。ナデッ窪の下りは一歩10m。1時間かからずに沼尻へ。また尾瀬沼のほとりを歩き、三平峠経由で大清水に戻る。ビールがうまかったなー。

32座目:鳳凰山・・・普通は「鳳凰三山」と呼ぶが、深Q先生に敬意を表す。88年5月下旬、新宿夜行で穴山駅に早朝到着。マイクロバスが迎えに来る。今回も相棒はH副隊長。御座石鉱泉まで運ばれ、雪がチラつく中を鳳凰小屋まで。カメラだけ持って地蔵岳のオベリスクを見に行く。麓からでもそれとわかるこのオベリスクにこれほど近くまで来れた感激は行って見なければわからないだろう。小屋でコタツにあたって夕メシを待つ。翌5月29日、まず目にしたのは快晴の空。地蔵・観音・薬師とたどる。白根三山がその名の通り白い姿でおいでおいでをしている。「H副隊長、いつかあそこに行こうぜ!」 夜叉神峠に下りる。

33座目:常念岳。単独。この年は何度急行「アルプス」の世話になっただろうか。6月9日朝、豊科駅で降り、タクシーで一の沢へ。車の中から熊の姿を見た。雪がたっぷりだが、竹の棒に赤い布の目印のおかげでコースを迷うことはない。常念乗越に着いたとき、向こう側に見えた槍の姿。山登りをやっててよかったとしみじみ思う瞬間である。カメラと三脚だけ持ってザックは常念小屋へ置いておく。1時間弱で常念頂上だ。88年6月9日。だんだんガスがかかってきて、小屋に戻ったころにはポツリポツリ。持って行ったラジオで関東甲信の梅雨入り宣言のニュースを聞いた。ここのメシもうまかったな。翌日、再び常念のピークを踏み、蝶・長塀山経由で徳沢に下りる。徳沢園で食ったラーメンもうまかった。下界では普通の味かもしれないが、山で食うとうまいんだなー。

34座目:雨飾山・・・いい名前の山ですよね。双耳峰。深Q先生にとっても思い出深い山だ。H副隊長と「アルプス」で南小谷。ディーゼルに乗り換えて中土で降りる。バスで小谷温泉へ。ここから歩き出す。88年6月19日。まだまだ雪が残っていました。恵まれた天気の中を頂上へ一歩一歩。早くも夏の陽気を感じた。頂上から日本海、というわけにはいかなかったが、満足して雨飾温泉に下る。温泉に入って風呂上りにビール。これだから山登りはやめられない。

35座目:霧ヶ峰・・・88年6月下旬。その当時「信州ワイド周遊券」なるものがあった。国鉄バスも乗れたのだ。急行電車もわずかだが残っていた。そんな時代だった。新宿から山のいでたちではなくフツーの観光客スタイルで新宿夜行に乗り込む。翌朝上諏訪で降り、国鉄バスで霧ヶ峰へ。車山の頂上はホントに「霧の峰」だった。花を見に来たハイカーがうじゃうじゃ歩いていた。    信州夜行に乗るには新宿駅「アルプス広場」に並んだものだが、このとき並んでいたら23時40分ころ人事担当の会社の先輩が「○○ちゃん、山に行くの?」と声をかけてきた。仕事帰りだ。「働きバチ」と言う文字が頭に浮かんだ。

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2007年9月 4日 (火)

「百名山を振り返る」その6

お断り・・・思い出しながら書いているので、あとで加筆訂正していきますが、いちいち「追記」と書かないで付け加えていくことをお許しくださいませ。

26座目:開聞岳・・・25座目の霧島山の続きである。指宿YHを暗いうちに出て、指宿枕崎線の始発に乗る。開聞駅下車。2月のことであり、まだ薄暗かったが地図を見ながら登山口に向かううちに明るくなってきた。この山は円錐形の山でグルグル巻きに登る。海を見下ろしながら登るところもある。九重・阿蘇・霧島は雪が残っていたが、ここ開聞は全く雪がない。標高が高くない(924m)こともあるだろうし、何と言っても南国鹿児島である。北海道生まれの私にとっては2月に夏のような山登りをすること自体が大感激である。頂上には祠があった。ガスのため眺望はなし。祠にお守りが置いてあった。寸志を入れて勝手にとっていく方式である。私はこの「人を信用するシステム」が大好きなので信仰心はないが、お守りをいただいた。下りは何を血迷ったか7合目から川尻に下りた。店も公衆電話もなくタクシーが呼べない。寝台特急「はやぶさ」の出発に間に合うか・・・走るように歩いていると一軒のお土産屋さんがあった。ここで何か買って電話を借りてタクシーを呼んだ。運ちゃんに「はやぶさ」に間に合うように西鹿児島(カッコ内が長くなるがお許しを。現在の「鹿児島中央」はつい最近まで「西鹿児島」だった。ついでに言っておくと「はやぶさ」は現在東京~熊本を走っているが、当時は東京~西鹿児島だった)に着きたい。指宿枕崎線の列車を追いかけてください、とお願いし、喜入あたりで追いついて下ろしてもらった。1988年2月13日の出来事である。無事に乗った「はやぶさ」のロビーカーから不知火海を見た。海の上を走るようだった。翌日、静岡で「新幹線に乗り換えてください」と車内放送があった。新幹線で東京に着いて「寝台料金返してくれ」とゴネて、駅長室まで通されて話したがラチがあかず、おエライさんの名刺をもらって自宅に帰ったら、そのときの「はやぶさ」の車掌から「案内が足りませんでした」とお詫びの電話が来た。あやまってくれれば済んでしまう日本人・・・それはワタシのことです。05年10月にも登頂。Kaimon_35

←05年10月。H副隊長と。

27座目:雲取山・・・三峰(埼玉県側)から登る。88年4月7日は春の大雪が降り、どんどん積もる。雲取小屋に着いてホッと一息。降る雪を眺めながらコタツにあたる。メシがうまかったー。夜中にもどんどん積もったらしい。翌朝は晴れてはいたが、一面真っ白の銀世界。通常30分で頂上に行けるところを雪の中を泳ぐように進んで、1時間以上かかって頂上に着いた。4月8日。下りもラッセルの連続である。スノーシューなんてしゃれたものの存在さえ知らなかった。夏道2時間50分のところを7時間以上も歩いた。不思議と疲れはなく、鴨沢(東京都側)ではなんだか笑いが出た。奥多摩の蕎麦屋で「肉うどん」を食っていたら「雪のため関東地方のプロ野球開幕試合は中止になったが、東京ドームの公式戦開始日、巨人戦だけは行われ、いきなりドームの威力を見せ付けた」などとやっていた。このときの思い出がなければ青梅の今の家には住んでいないと思う。93年10月と06年5月にも登頂。

28座目:大菩薩岳・・・雪があろうが怖いものなし。ちょっと怖いくらいの勢いがついてしまい、登頂後に丸川峠から下りてみる。腐った雪で歩きにくいことったらない。裂石に着いて転がっていたらそのまま昼寝してしまった。88年4月20日登頂。90年5月、05年10月にも登頂。Daibosatsu35 Hukutyan35

←H副隊長・岳人・私の「ぽんぽこ登山隊」。05年10月30日。

29座目:金峰山・・・信州夜行で小淵沢。小海線で信濃川上。バスでアプローチ。金峰山小屋はアットホームな雰囲気だった。翌日登頂。88年5月7日。五丈岩に登ってみた。南ア・富士山・北ア・そして八ツ!大展望だ。

30座目:瑞牆山・・・金峰の続き。大日小屋・富士見平小屋のあたりは気味が悪い。事件のあったところでもあるので特に富士見平は。 そんな思いを吹っ切り、走るように登る。今からは考えられないスピードで登った(はず)。ここではガスって展望は得られなかったが、金峰から見てるのでよしとしよう。増富温泉に下る。

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2007年9月 3日 (月)

茅ヶ岳。「深田久弥先生にご報告」

2007年9月3日(月)、茅ヶ岳に登ってきました。

「101座目」的な意味合いがあるわけです、この山には。

1971年3月21日に深田久弥はこの山の頂上まであと30分というあたりで脳溢血で亡くなった。享年68歳。

茅ヶ岳は百名山には入っていないが、百名山を目指す者にとっては「準百名山」のような扱いであろう。

4:35の青梅発の電車が始発である。

コンビニでおにぎりと飲み物を買って乗り込む。

立川発5:24の大月行きに、大月で甲府行きに、甲府で松本行きに乗り換え、韮崎に着いたのが7:35。青梅からちょうど三時間だ。18きっぷ使用。

7:54韮崎発のバスはマイクロバス。乗客は三名。うち二名は「韮崎IC」で降り、終点の穂坂まで乗ったのは私ひとり。

8:10、歩行開始。002

←アスファルトの道を歩く。003

8:46、駐車場に到着。車は30台ほど駐車できるスペースがあるが1台しか停まっていない。004

←用を足して、先へ進む。今日はアスファルト歩きが長そうだったので、足元はトレイル・シューズである。005

←深田公園には山を下りてから寄ることにする。

最初はわりと平坦な道だ。花も咲いているが下りで撮ることにして先に進む。

緩やかな道が尽きるとカラ沢沿いの石ころの道になる。006 007

←9:35、女岩。水場もある。おにぎりを一個食べる。

風もほとんどなく、聞こえるのはセミと虫と鳥の声だけ。

少し汗が出るが、木の下道なので快適である。008

←10:10、尾根に出るが木は茂っており、快適な歩きが続く。

009 

←10:13、「深田久弥終焉の地」に到着である。

ザックを下ろし、帽子を取り、両手を合わせる。

百名山完登の報告。「応援してくださった全ての人に感謝いたします」

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←このあたりで大イビキをかいてやがて亡くなったそうである。1971年3月21日午後一時。

木々の間から山なみが見え出す。011

←秩父の山々。012

←頂上近く、ハクサンフウロ。013

014

←10:30、茅ヶ岳山頂到着。360度の展望。八ヶ岳。手前は金ヶ岳。

015

←鳳凰三山。016

←頂上が隠れているが、甲斐駒。017

←富士山はクッキリと姿を見せている。018

←「山梨百名山」。へっぽこ山ちゃんは全部登ったそうである。追記:「山梨」は半分くらいだそうである。  日本三百名山は全部登ったそうである。

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←金ヶ岳。いずれまた来よう。後ろは八ヶ岳。

020

←この他にも、マダラ蝶・ルリアゲハ(ルリタテハ?)が飛んでいた。トンボ・トンビも。

021

←だーれも来ないので、三脚で撮影。

おにぎりを一個食べ、名残惜しい山頂をあとにする。11:01。

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「終焉の地」で再び手を合わせる。023

←これは御岳じゃないですよ。正真正銘、茅ヶ岳に咲いていたレンゲショウマ。

11:40、女岩。024 025

12:20:駐車場到着。深田公園に寄って行く。026

←「百の頂に百の喜びあり」の碑。

13:10穂坂に着いたが、バスは14;00までない。アスファルト道を中央高速の先まで歩く。

14:07、バスに乗り込み、韮崎駅へ。027

←韮崎駅のホームから見た茅ヶ岳。「ニセ八ツ」の異名を持つ。

14:31韮崎発の高尾行きにビールとチュウハイを買って乗り込む。

高校生に混じって各駅停車に乗ったオジサンは昼寝しながら帰宅の途につくのでありました。

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2007年9月 2日 (日)

「百名山を振り返る」その5

21座目:乗鞍岳・・・87年9月。一日しか休みがなかったが、アルプスの空気が吸いたくて乗鞍へ。急行「アルプス」利用。松本駅のサテンで時間をつぶす。畳平から運動靴で登りました。今年の6月16日、20年ぶりに登りました。これもH隊員のおかげです。

22座目:至仏山・・・87年9月13日、H副隊長と鳩待から登頂。山の鼻に下りる道は石が丸くてすべりやすいことこの上なし。

23座目:九重山・・・88年はキ○ガイのように登った年である。2月に年休をもらったので九州の山にアタックだ。前日大分の街でひとり居酒屋に入って焼酎を飲んでみた。どうやってホテルに戻ったのか・・・2月10日、9:35長者原から歩き始めて小雪がちらつく中を11:45久住山頂、12:30に中岳。さぁ、今シーズンのスタートは早いぞ。牧ノ戸峠に下る。バスのちょうどいいのがなく、1時間40分車道を歩いて瀬の本高原YH泊。まだ静かだった黒川温泉「新明館」に連れて行ってもらった。05年11月24日、H副隊長と再登頂。40

←05年11月24日中岳山頂。40_2

←05年11月23日、黒川温泉・山みず木にて。

24座目:阿蘇山・・・瀬ノ本のYHに泊まったのは私一人。夕食も朝食もペアレントさんの家族とご一緒する。夕食は湯豆腐だった。朝食のミルクティーがうまかった。ペアレントさんも山好きのようで長女が美峰(ミネ)ちゃん・犬の名前が岳(ガク)。岳がバス停まで見送ってくれた。バスで阿蘇の麓まで。ロープウェイで中岳火口。このあたりは暖かかったが、稜線に出るとさすがに寒かった。2月11日、13:30、誰もいない高岳頂上に立つ。その日は人吉まで移動。駅前の温泉旅館に投宿。05年11月23日、H副隊長と再登頂。40_3

←05年11月23日、阿蘇高岳山頂。

25座目:霧島山・・・人吉から吉松は「テツ」にとってはヨダレが出そうなポイントである。「ループ線」有り、スイッチバック有り、「日本三大車窓」の一つが有り、てな具合である。テツブログではなくて「山ブログ」なのでこのへんにしておこう。いや待てよ、昨日、立野の三段スイッチバックも通ったな・・・吉松の駅弁はうまいぞ。本当にこのへんにして先に進もう。小林からえびの高原へバスで向かう。雪が積もっており、チェーンを着けるために30分待たされた。11:30、歩行開始。2月12日、12:45、韓国岳登頂。先に登っていたおじさんが「きもちよかですねー」と言っていた。大浪池が見える。雪をかぶった高千穂峰も見える。桜島も!あんまり気分がいいので予定外の開聞岳にも行くことにした。明日の寝台特急「はやぶさ」の時間ギリギリだが、なんとかなるだろう。指宿YH泊。05年10月9日、H副隊長と再登頂。40_4

←05年10月9日、韓国岳山頂。

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「百名山を振り返る」その4

16座目:筑波山・・・グウタラな私も流石に2年間も留年するわけには行かず、5年で大学を卒業。最初は柏(千葉県)の事業所に配属となった。同期に茨城県下館市出身のヤツがいて、一緒に筑波に登ったのが1983年。多分、ケーブルを使ったと思う。それしか覚えていない。

柏の次に郡山(福島県)に人事異動。次に新宿に異動。間もなく5年間の名古屋勤務だったH副隊長も東京に復帰。1987年の春、久々となる三人(H隊員・H副隊長・私)揃っての登山、丹沢表尾根縦走。H副隊長と夏休みに「甲斐駒に行こう」と約束。

17座目:穂高岳・・・新宿の事業所勤務はアルプス方面にでかけるには好都合。朝はザックに山道具を押し込んで出勤し、新宿発夜行急行「アルプス」のトイレで山服に着替えた。上高地から走るように歩いたが、ザイテンではバテバテ。雨の中ようやく着いた穂高岳山荘では小屋のオヤジさんがたくさんビデオを見せてくれた。翌日、奥穂登頂。87年8月6日。頂上からは焼・乗鞍・御嶽・帝国Hの赤い屋根が見えた。岳沢に下る。92年9月に2度目の登頂。

18座目:甲斐駒ヶ岳・・・H副隊長と黒戸尾根から登る。ホントに元気だったなァ。5合目からは鎖・針金・ハシゴの連続で緊張するところもあるが、技術的に難しいわけではない。7合目の小屋に宿泊。メシがうまかった。富士山を見飽きることがなかった。翌日登頂、87年8月20日。摩利支天経由・仙水峠経由で北沢峠に下りる。その日は馬の背ヒュッテ泊。ビールが売り切れていた。

19座目:仙丈岳・・・夜中にトイレに起きたときに満天の星が・・・。8月21日、3033mの頂上は寒かった。ガスで何も見えなかった。だが、お花畑の見事なこと!ちなみにH副隊長の苗字は「花坂」、名前は「紀行」。なんと素晴らしい名前であることよ。小仙丈経由で北沢峠に下りる。

20座目:五竜岳・・・すっかりアルプスの魅力にとりつかれ、また「アルプス」に飛び乗った。目指すは鹿島槍・五竜。雨の中を鹿島に登頂、87年8月26日。八峰キレットは天気がよくない方がいいかもしれない。足元だけを見て通過した。キレット小屋のメシもうまかったなー。翌日は快晴。後ろに鹿島、前には五竜。稜線歩きの幸せな気分と言ったら。8月27日、五竜登頂。遠見尾根ではサルを何匹も見かけた。テレキャビンで下山。

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昨夜(9/1)の「エンタの神様」。

東京ウタカルタの、

「藤木直人はどうして歌を唄おうとするの~♪ねーむーれーなーい♪」

に死ぬほど笑ったのは私だけ?

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