「百名山を振り返る」その6
お断り・・・思い出しながら書いているので、あとで加筆訂正していきますが、いちいち「追記」と書かないで付け加えていくことをお許しくださいませ。
26座目:開聞岳・・・25座目の霧島山の続きである。指宿YHを暗いうちに出て、指宿枕崎線の始発に乗る。開聞駅下車。2月のことであり、まだ薄暗かったが地図を見ながら登山口に向かううちに明るくなってきた。この山は円錐形の山でグルグル巻きに登る。海を見下ろしながら登るところもある。九重・阿蘇・霧島は雪が残っていたが、ここ開聞は全く雪がない。標高が高くない(924m)こともあるだろうし、何と言っても南国鹿児島である。北海道生まれの私にとっては2月に夏のような山登りをすること自体が大感激である。頂上には祠があった。ガスのため眺望はなし。祠にお守りが置いてあった。寸志を入れて勝手にとっていく方式である。私はこの「人を信用するシステム」が大好きなので信仰心はないが、お守りをいただいた。下りは何を血迷ったか7合目から川尻に下りた。店も公衆電話もなくタクシーが呼べない。寝台特急「はやぶさ」の出発に間に合うか・・・走るように歩いていると一軒のお土産屋さんがあった。ここで何か買って電話を借りてタクシーを呼んだ。運ちゃんに「はやぶさ」に間に合うように西鹿児島(カッコ内が長くなるがお許しを。現在の「鹿児島中央」はつい最近まで「西鹿児島」だった。ついでに言っておくと「はやぶさ」は現在東京~熊本を走っているが、当時は東京~西鹿児島だった)に着きたい。指宿枕崎線の列車を追いかけてください、とお願いし、喜入あたりで追いついて下ろしてもらった。1988年2月13日の出来事である。無事に乗った「はやぶさ」のロビーカーから不知火海を見た。海の上を走るようだった。翌日、静岡で「新幹線に乗り換えてください」と車内放送があった。新幹線で東京に着いて「寝台料金返してくれ」とゴネて、駅長室まで通されて話したがラチがあかず、おエライさんの名刺をもらって自宅に帰ったら、そのときの「はやぶさ」の車掌から「案内が足りませんでした」とお詫びの電話が来た。あやまってくれれば済んでしまう日本人・・・それはワタシのことです。05年10月にも登頂。
←05年10月。H副隊長と。
27座目:雲取山・・・三峰(埼玉県側)から登る。88年4月7日は春の大雪が降り、どんどん積もる。雲取小屋に着いてホッと一息。降る雪を眺めながらコタツにあたる。メシがうまかったー。夜中にもどんどん積もったらしい。翌朝は晴れてはいたが、一面真っ白の銀世界。通常30分で頂上に行けるところを雪の中を泳ぐように進んで、1時間以上かかって頂上に着いた。4月8日。下りもラッセルの連続である。スノーシューなんてしゃれたものの存在さえ知らなかった。夏道2時間50分のところを7時間以上も歩いた。不思議と疲れはなく、鴨沢(東京都側)ではなんだか笑いが出た。奥多摩の蕎麦屋で「肉うどん」を食っていたら「雪のため関東地方のプロ野球開幕試合は中止になったが、東京ドームの公式戦開始日、巨人戦だけは行われ、いきなりドームの威力を見せ付けた」などとやっていた。このときの思い出がなければ青梅の今の家には住んでいないと思う。93年10月と06年5月にも登頂。
28座目:大菩薩岳・・・雪があろうが怖いものなし。ちょっと怖いくらいの勢いがついてしまい、登頂後に丸川峠から下りてみる。腐った雪で歩きにくいことったらない。裂石に着いて転がっていたらそのまま昼寝してしまった。88年4月20日登頂。90年5月、05年10月にも登頂。
←H副隊長・岳人・私の「ぽんぽこ登山隊」。05年10月30日。
29座目:金峰山・・・信州夜行で小淵沢。小海線で信濃川上。バスでアプローチ。金峰山小屋はアットホームな雰囲気だった。翌日登頂。88年5月7日。五丈岩に登ってみた。南ア・富士山・北ア・そして八ツ!大展望だ。
30座目:瑞牆山・・・金峰の続き。大日小屋・富士見平小屋のあたりは気味が悪い。事件のあったところでもあるので特に富士見平は。 そんな思いを吹っ切り、走るように登る。今からは考えられないスピードで登った(はず)。ここではガスって展望は得られなかったが、金峰から見てるのでよしとしよう。増富温泉に下る。
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コメント
たけぱぱさん
本当にあっと言う間に一年は過ぎてしまいますね~
今年の夏は確か栃木の方へ朝早くから出かけられたと思ったら、
Σ(・o・;) アッと言う間に9月に突入しましたからね~
既に折り返し地点から今年も半分以上が過ぎてしまいましたね~
又新たに何処の山に登るのかが、選択するのに困るかも?
プププッ (*^m^)o==3
取り敢えずは東北方面から攻めてくるのかな?
投稿: happy_time | 2007年9月 4日 (火) 22時17分
久々のH副隊長の登場だね。
岳ちゃんもまだ初々しいね!
投稿: H隊員 | 2007年9月 4日 (火) 22時44分
凄い記憶力ですね。
御見それしました。
投稿: えいじ | 2007年9月 4日 (火) 23時25分
記憶力も然る事ながら、Upも早いですね!しかし、長年の岳友がいるってのも良いですね!!
投稿: やまとそば | 2007年9月 5日 (水) 00時38分
祠にお守りが置いてあり寸志を入れて勝手にとっていく方式なのですね、性善説に基づいてのことでしょうか。「はやぶさ」のロビーカーから不知火海を見られ、海の上を走るようでしたか!!乗ってみたいです。
投稿: はっしー | 2007年9月 5日 (水) 06時25分
隊長!
私の記憶が確かなら、開聞岳に登頂されたその年
何を隠そう鹿児島市民してました。
たった1年だけでしたが。
わかっていたならご一緒できたのに・・・。
(とはいえ、全く登山に興味なかったっけ・・・)
投稿: らいず | 2007年9月 8日 (土) 02時08分
happy_timeさん、
登る山はいっぱいあるのですが、今までは「百名山」中心で選んできて、楽といえば楽だったのですが、今は自由と言えば自由なので却って困っています。
楽しく山登りを続けたいと思っています。
投稿: たけぱぱ | 2007年9月21日 (金) 08時37分
H隊員、
岳人は「まだこの頃までは可愛かった」と言える。今では女房と背も同じ。
ニキビ面の立派なオヤジと化しています。
H副隊長は元気かなー・・・
投稿: たけぱぱ | 2007年9月21日 (金) 08時39分
くだらないことはたくさん覚えているのですが、肝心なことはサッパリです。
H隊員の暴露話をここで披露できないのが残念です。
投稿: たけぱぱ | 2007年9月21日 (金) 08時49分
やまとそばさん、
旅の思い出とは不思議なものですね。
天気のよかった山行より、雨雨のガスガスの方をよく覚えていたり、苦労させられたことはよく覚えていますよね。
書いていてもそういうことの方が面白い。
「野次・喜多」みたいなもんですな。
投稿: たけぱぱ | 2007年9月21日 (金) 08時55分
はっしーさん、
今は「はやぶさ」は熊本までしか行かないので不知火海の近くは通りません。
みんな新幹線「つばめ」でトンネルモグラ状態でここの景色を見ずに鹿児島に行ってしまいます。
もったいないですね。
不知火海を見るなら各駅停車です。
それもまた魅力的じゃありませんか!
投稿: たけぱぱ | 2007年9月21日 (金) 08時59分
らいず師匠、
そのうち高千穂か開聞か市房か傾にご案内してもらう予定ですから、そのときはよろしく哀愁!
素通りで屋久島に行っちゃうかも・・・
投稿: たけぱぱ | 2007年9月21日 (金) 09時02分