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2007年9月12日 (水)

「百名山を振り返る」その13

61座目:空木岳・・・忘れていた山登りを富士山で思い出してしまった。東京で会議があった時に山道具を持って行った。会議が終わると、中央線・飯田線経由で駒ヶ根のビジネスHに投宿。91年9月4日、しらび平までバス。ロープウェイで千畳敷へ。宝剣・極楽平・檜尾岳・熊沢岳を縦走して木曽殿山荘泊。平日であったが同じコースをたどった人が10人くらい、やはり木曽殿山荘に泊った。16時頃到着したら小屋のおかみさんに「後ろ何人くらい来るかね?米どれくらい炊きゃいいかなと思って」責任重大だが大体把握していたので「あと3人来ます」とキッパリ答えてしまった。ちゃんと3人来た時にはホッとした。  翌5日、1時間と少しで空木岳頂上だ。眺望は得られなかった。池山尾根を下る。長かった。

バブル絶頂。この年(91年)、夏休みが17日間あった。9月中旬から下旬にかけて北ア大縦走を計画。栂池から歩き出す。北アのメインルートは金さえあれば食い物には困らない。白馬大池山荘でさっそくウドンを食べた。台風17号が近づいており、眺望がほとんど得られなかったが雷鳥のお出迎えだ。登山道を先導するように歩いている。元気付けられて、9月17日、11年ぶりに白馬山頂を踏む。白馬山荘泊。夕食時、生ビールを飲んだ。11年前は生ビール売ってなかったし、買う金もなかったであろう。 夕食後TVを見ていると台風がかなり接近。停滞を決める。眠くなるまでTVを見て時間を過ごす。夜中にだんだん風雨が強くなっていったのが音でわかった。 翌朝停滞を小屋の人に告げ、一泊三食分の金を払う。TVを見たり、昼寝をしたりして時間をつぶす。夕方、少し晴れてきたので宿のサンダルのまま頂上へ行ってみた。同じく停滞していた人たちがほとんど顔を揃えた。 翌日、台風は遠ざかったがまた雨だった。カッパを着込んで出発。やがて止んでくれたが、つぎに不帰の嶮が控えている。天狗の頭あたりからはガスも晴れてきて、これから歩く稜線が少しだが見えている。「よし、いくぞー」と気合を入れ直して天狗の大下り。Ⅰ峰を越す。Ⅰ峰とⅡ峰のコルからⅡ峰への登りが不帰の嶮の最も緊張するところだ。左側がスパっと切れ落ち、桟道や鎖の連続だ。Ⅱ峰を過ぎてしまえばそれほどでもなくⅢ峰。唐松の頂上はすぐだった。ホッしたところで弁当を食う。快適な稜線歩き。19日の正午近く、4年ぶり二度目の五竜頂上。眺めは得られないが、やっぱり百名山の頂上。気持ちがスカっとする。二時間半ほど下ってキレット小屋。メシがうまい。ここでこの先どうするか考えたが、船窪岳と不動岳の間は危険のようなのでそこの箇所は一旦大町に下りることにする。 翌20日、快晴だ。八峰キレットはガスっていないと怖いことを初めて知った。4年前は雨の中でとにかく足元しか見えなかった。登りに登って4年ぶり三度目の鹿島槍だ。先ほどから黒部の谷を隔てて剱・立山が見えていたが、やはり高いところからの眺めがいい。冷池から爺ヶ岳へかけての稜線はいつ見てもいい。北アでもっとも好きな眺めの一つだ。種池まで来て少し迷ったが、天気もいいので針ノ木まで行くことにする。針ノ木からの眺望も素晴らしい。針ノ木小屋では三人部屋だった。小さな窓からまだ剱・立山が見えている。 翌日、針ノ木峠から大町に下る。明日のタクシーの予約をしてビジネスHに投宿。最上階に大浴場があり、真っ先に風呂だ。5日間の汗を流す。  9月22日、タクシーで七倉へ。車道を歩き、高瀬ダムからいよいよ急登で名高い「ブナ立尾根」だ。25分から30分歩いたらキッチリ5分休むというペースを守り、約5時間かかり、稜線に出た。烏帽子の頂上を踏み、烏帽子小屋泊。ここでH隊員と同じ苗字のお嬢さんと明日黒岳まで一緒に行くことになった。北穂の小屋でバイトしたこともあるというので、かなりのヤマヤさんとお見受けした。

62座目:黒岳・・・H嬢は私の後ろを少し離れて付いて来る。それでも休憩になれば一緒のところで休み、山の話や仕事の話など。松本市内に住む広告代理店勤めのOLさんだそうである。野口五郎岳通過。後日、清水の事業所に帰って「野口五郎岳に登ってきたよ」と言ったら「そんな山あるわけないじゃん」と言われた。  このあたりは静かだった。9月下旬ということもあるのだろうが。曇りだったが近くの山はきれいに見えていた。2986mの黒岳(水晶岳)に登頂。写真を撮り合う。H嬢は苗字がIさんになって高円寺で二児のお母さんとなっています。

63座目:鷲羽岳・・・黒岳から1時間ほど下ったところでH嬢は雲の平へ。私は鷲羽へ。手を振って別れる。いつか雲の平にも行ってみたいなー。と思っているうちに雨が降ってきた。鷲羽の頂上で自分で腕を伸ばして撮ったアップの写真しか残っていない。三俣山荘泊。

64座目:黒部五郎岳・・・この日は朝から雨。ほとんど誰にも合わず。やけのやんぱちで「SAY YES]を熱唱しながら歩く。黒部五郎小屋で雨宿り&弁当タイム。黒部五郎のカールにはまだ雪が残っていた。雨の黒部五郎岳頂上。北の俣岳を下る頃、ようやく雨が止んだ。太郎平小屋は泊り客は私だけ。小屋でタクシーの手配を頼む。晩飯はTVの前に用意してあった。  翌朝もTVの前で朝食。天気予報を見ながら。折立へ1時間くらい早く着いたがタクシーはすぐやってきた。有峰口から富山地鉄に乗り、富山から名古屋まで在来線特急。新幹線で静岡に戻った。

まだ休みが一週間残っていたので久しぶりに札幌の実家に帰ったら「彼女連れてくるのかと思った」とか「会社クビになったのかと思った」とかいろんな言われ方をした。そういえば7年ぶりだった。

1993年、嫁さんをもらい、青梅に住んだ。

1995年、岳人が生まれた。女の子なら「粋華」(スイカ)にしようと思ったが男だった。

92年から94年にかけてあちこちにカミさんを連れて行ったが、富士山や尾瀬にも行きましたよ。サイパン・グアム・ハワイ・ニューカレドニア・タヒチ・香港・ヨーロッパ。バブル絶頂でしたね。

96年、テツ心に火がつき、18きっぷや周遊券を使う旅行をし始めた。山は少しお休みだった。

65座:草津白根山・・・97年8月29日。山を忘れていたわけではない。18きっぷを使って長野原草津口。JRバスで白根火口。湯釜を見てから山に向かった。コマクサ情報を仕入れずに行ったのでコマクサの大群落にぶったまげた。どこが頂上かわからなかった。地図を見て「行けないんだ」と思ったら、なんだか面白くなかった。まだ若かったのか・・・ 今年(07年)7月26日にはコマクサ目当てに登りました。

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コメント

たけぱぱさん、今から15年~16年前のことですよね。  よく覚えていらっしゃる。。
登山日記は、つけていたのでしょうね~!
結婚して、奥様といろんな所へ、行かれたのですね~!
長男も生まれて、たけぱぱさんの幸せが、伝わってきます~~!!
その13も楽しく読ませていただきました。。
ありがとう~~~!!!

投稿: ゆみちゃん | 2007年9月12日 (水) 11時25分

4年ぶり三度目の鹿島槍、黒部の谷を隔てて剱・立山が見えていて、高いところの眺めが良かったですか!!  「SAY YES」好きな歌だわー♪ 1993年にたけぱぱさん赤い糸が結ばれたのね(*^^)v 1995年岳人君が生まれたのですか~女の子だったら「粋華」(笑)ちゃんですか、笑ってしまいゴメンちゃい。漢字は素敵ですが、大好きな果物のスイカを思い出してしまうなぁ~。海外にもいろいろ行かれたのですね!!私は海外は新婚旅行でハワイに行きました♪

投稿: はっしー | 2007年9月12日 (水) 19時49分

百名山とは関係ない話もたくさん出てきたが、それだけ思い入れが強く、またそれだけどうしても書きたかったということだね。H嬢のことは始めて聞いたぞ!
バブル絶頂の頃、毎年海外旅行行って絵葉書送ってくるのを羨ましく思っていたよ。何であんなに行けるんだろう?我が家と随分違うなあーーってね!!

投稿: H隊員 | 2007年9月12日 (水) 22時04分

船窪のへんはそんなに怖いのでしょうか?来年ぐらいに、扇沢ー蓮華ー船窪ー烏帽子ー野口五郎ー三俣蓮華ー鷲羽ー黒岳ー赤牛ー読売新道ー平の渡しー扇沢というコースを考えています。無茶ですかね。

投稿: ごん改めゴンサーレス | 2007年9月12日 (水) 22時43分

たけぱぱさん、今日も出遅れ・・・こっちのぶろぐもばたばたしてて、落ち付いて読んでからコメンします。

投稿: やまとそば | 2007年9月13日 (木) 01時07分

その13のたけぱぱさんの歩きは凄いの一言、今年鹿島槍から見た山全部を繋いで歩いちゃったんですね!!
北アルプス縦走は私達と反対回りで歩かれた様子、テント担いで歩いたこと思い出します。

投稿: 雪椿 | 2007年9月30日 (日) 08時06分

ゆみちゃん、
このときは登山日記つけていません。
コースタイムだけはどこかに記録があるかも。
思い出しながら書いています。
この頃は会社も個人も「バブル絶頂期」でした。
いろんなところへ行きました。
そのお金が今あったらなー、とぼやいても仕方のないこと。
いろんな所へ行けたことを感謝しています。

投稿: たけぱぱ | 2007年10月 5日 (金) 23時12分

はっしーさん、
ハワイにまた行きたいなー。
私ら家族は貧乏旅行に慣れていますので、国内よりハワイにツアーで行く方が安かったりします。
空港から路線バスでコンドミニアムに行っちゃうときもありますよ。
新婚旅行ハワイだったのですね。
私らはタヒチに行って帰りにハワイに寄りました。
まさしくバブル絶頂。

投稿: たけぱぱ | 2007年10月 5日 (金) 23時22分

H隊員、
まさしく「バブル絶頂」だったね。
バブルの中で掴んだ幸せはバブルの崩壊と共に消え去るのか・・・
H嬢とは年賀状のやりとりだけですよ。
よく読んでもらうとわかりますが、ほとんど山のことしか書いてないですよ。
ヨーロッパに行った話などは克明な日記が残っています。
いつか必ずご披露します。

投稿: たけぱぱ | 2007年10月 5日 (金) 23時33分

ごん改めゴンサーレスさん、
船窪のあたりは実際に歩いていませんので正直なところ、わかりません。
そのコースが無茶なのかも全くわかりません。
お役に立てなくて誠に申し訳ありません。

投稿: たけぱぱ | 2007年10月 5日 (金) 23時41分

やまとそばさん、
こちらもお返事書くのが遅れ遅れになりまして申し訳ありません。
「その30」まで行くつもりですのでよろしくお付き合いくださいませ。

投稿: たけぱぱ | 2007年10月 6日 (土) 08時12分

雪椿さん、
また縦走やってみたいですね。
北アでも南アでも。
出来ればテントで行ってみたいですね。
でもやっぱりムリせず山小屋利用かな。

投稿: たけぱぱ | 2007年10月 6日 (土) 08時16分

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