« 2005年4月、屋久島。写真その5 | トップページ | 縄文杉。ウィルソン株。 »

2007年11月 9日 (金)

2005年4月、屋久島。本編。

2005年4月、「ぽんぽこ登山隊」のオリジナルメンバーともいうべき三名で屋久島に渡った。

最初はH隊員の、

「4月に連休がとれそうだ。山に行かないか」

というメールだったと思う。

私の返事「そんなら屋久島に行かないか?H副隊長も誘おうよ」

H隊員は何度かのメールのやりとりのうちに「4泊5日はムリだが、3泊4日なら行ける」ということになった。

あとはH副隊長だ。せっかくの屋久島行きだ。なんとかしてH副隊長も連れて行きたい。

当時大阪に住んでいたH副隊長に話をつけに行った。

新大阪の居酒屋にて、

私「H隊員と屋久島に行くことになったよ」

H副「そうか。行きたいが、一泊じゃだめかい?」

私「きついな。二泊、三連休は無理かい?」

H副「職場のオイラの席がなくなるかもなー、うーん・・・」

新大阪の夜はふけてゆくのであったが、その日は結論が出なかった。

数日後。

H副メール「なんとか休みとるので、飛行機の手配頼む」

これで話が決まった。

2005年4月15日、羽田で待ち合わせ。H隊員と8:00羽田発鹿児島行きのJALに乗った。

H隊員は学生時代から使っている「フレームザック」で現れた。

H隊員はこのフレームザックで北海道やヨーロッパに行っている。今から26年前の話だが・・・

鹿児島空港では羽田からの飛行機が少し遅れたため、走って乗り換えとなった。しかもH隊員のフレームザックが大きいと言うので走っているところを止められて、手荷物預かりとなり、飛行機に乗るのがさらに遅くなるというおまけつきだった。

屋久島行きのカナダ製ボンバルディエQ-400はふわりと浮かぶ。あっさりと浮き上がる。

桜島や開聞、そして青い海原を見下ろしたと思ったらすぐに種子島が見えて、ぐいーんと旋回して屋久島空港へ。11時着。

前年(04年)の12月5日、この空港でずいぶん飛行機の飛び立つのを待った。

最終便まで待っても飛ばなかった。そんな思い出のあるこの空港にこんなに早く戻ってこれるとは!

まずはレンタカーだ。係りの方が迎えに来ている。車でレンタカー会社の事務所まで行き、手続きをする。これから3泊4日、H隊員の運転で行動する。H副隊長は明日の飛行機で来る。

まずは飛行機に乗せられないガスボンベを買いに行く。昨年もお世話になった「ナカガワスポーツ」へ。次に昼飯。これも昨年お世話になった「かぼちゃ屋」へ。サバブシの入った「屋久島ラーメン」を。

腹ごしらえをしたところで屋久杉ランドへ。ここは昨年来ていない。初めての訪問である。だがなぜか写真を一枚も撮っていない・・・

宿は今回も屋久島ユースホステルだ。「またいらっしゃい!季節を変えて」と、言ってくださったYHのお父さんも顔を覚えていてくれた。

新館「すぎやま」の2段ベッドが二つある部屋に荷物を置く。まず、メシだ。板長ともいうべき岩川さんがいるのでメシは最高にうまい。生ビールを、と思ったがこの時期やってないとのこと。缶のA社製SDで我慢する。口直しに屋久島の焼酎「三岳」だ。幸せになって風呂へ。この日はヒノキ風呂ではなかった。男女日替わり入れ替えだそうだ。

部屋へ戻るとH隊員は愛妻メールだ。携帯を買い換えたばかりで、親指の動きがぎこちない。明日は白谷雲水峡。早めに寝る。

============================

4月16日、今日も快晴だ。朝飯がうまい。

001

←屋久島YH前にて。

H隊員の運転する車は島一周の道路を通り、宮之浦へ。「ヤクデン」(スーパーマーケット)に寄って昼飯と飲み物を買う。車は宮之浦から白谷に向かう山道を登っていく。白谷広場に到着。昨年12月に来たばかりだが、遠い昔のことのように懐かしい。

屋久島の新緑を見るにはこの時期が一番いい。白谷広場にはかなりの台数の車が停まっている。事務所(入り口)で協力金300円を払う。このときに「どこからきたか(県名)」を訊かれる。昨年はT子さん・李さん・韓さんと4人で来たっけなー・・・

我々は「栃木です」「東京です」と言って白谷を歩き出す。私は持参のステッキを、H隊員はそこいら辺にあった棒を杖代わりに。

私「太鼓岩まで行こうね。絶対行かないと後悔するから」

H「オイラはいいよ、太鼓岩は。たけぱぱ一人で行って来いよ。下で待ってるから」

私「なーに言ってんだ。行くぞ行くぞ」

ま、なんだかんだ言いながら太鼓岩を目指す。002 003

二時間弱で辻峠だ。

私「さぁ、太鼓岩まで行くぞ。行かないと絶対後悔するから」

H「わかったよ。そこまで言うなら行ってみるよ」

ここからは急な登り。木につかまり、体を持ち上げる。約10分、ひたすら登ると太鼓岩の上に出る。何組か休憩している。昨年はほとんど眺望は得られなかったが、今日は快晴だ。宮之浦岳も見えている。ヤマグルマの淡い緑とサクラツツジのピンクがすばらしい。H隊員もこの眺めに呆気にとられたようだ。004 

←太鼓岩にて。バックに宮之浦岳。

昼飯を食べて、名残惜しいが太鼓岩をあとにする。

登りはほぼ真っ直ぐ太鼓岩を目指したが、下りは「原生林コース」をとる。ここはまさしく「もののけの森」だ。苔の緑に囲まれて歩く。奉行杉、三本槍杉、三本足杉。005

レンタカーで来ているので、時間を気にしなくていいのがありがたい。昨年はタクシーを呼んであったので、時間を気にして歩いていたからなー。006

←「飛流落とし」にて。

さて今日は大阪からH副隊長が合流する日だ。空港まで迎えに行く。

15:30、H副隊長が到着。三人が顔を合わせるのは昨年8月以来だ。

私「H副隊長、よく来た!」

H隊員「よう、ひさしぶり!」

屋久島空港にてガッチリ握手。なんだか夢のようだ。

H隊員「さーて、滝見に行くかぁー」

まずはトローキの滝へ。007008 

「とどろき」がなまって「トローキ」になったそうだ。滝が海に直接流れ落ちている。

私「おーし、H副隊長、来て早々だが、温泉に行こうぜ」

H副隊長「いいね、いいね」

尾之間温泉へ。大人二百円で本格的な温泉に入れるんですからこの近くに住んでる人は自宅に風呂いりませんよね。熱い湯が湯船の足元からこんこんと湧き出ている。

009_2 010

←モッチョム岳の麓、熱い湯が湧き出る尾之間温泉。

ユースには18時までに着けばいい。もう一つ、大川(おおこ)の滝を見に行った。そこに行く前にヤクザルが道路を横切って我々に挨拶してくれた。

011 012

←大川の滝

さらに中間のガジュマルを見に行った。ここはNHKの「まんてん」のロケでも使われたところだ。ゴルゴ経営するところの「トロピカルパーク」として。013 014

ユースに到着。弁当の手配。次に夕飯だ。ビールで乾杯だが、三岳の五合ビンも買う。

YHのマネージャー(ミッキーさん)「五合くらいすぐ飲んじゃいますからねー、ヘヘ」

夕飯を食べ終わって、三岳をちびちびやりながら他のホステラーさんとも話しがはずむ。

あるホステラーさんが「明日、白谷雲水峡に行こうと思います」

H隊員「それなら太鼓岩まで行った方がいいですよー」

隣でオイラひっくり返りそうになった。今朝は「太鼓岩は行かなくていい。オイラは下で待ってる」と言ってたのに・・・

恐るべし、H隊員。でもきっとあの眺めに感動したんだろうなー。

部屋に戻り、明日の準備をしながら山の話をする。H隊員がウトウト。起きたと思うと、次にH副隊長が寝てしまった。

まあ、いい。三人こうして集まれたんだからなー。

============================

4月17日。4時起床。向かいの部屋のドイツ人男性二人も釣りに行くらしく早起きしている。

さあ、出発。ところがH隊員の財布が見当たらないという。食堂の夕食を食べていた位置にそのままあったというからよかったが・・・

4:32出発。

H隊員の運転する車は真っ暗な中、島一周の道路を安房へ。安房から淀川入口に向かう。4:55「旭弁当」で、頼んでおいた弁当を受け取る。私2食、あとの二人は3食分。だんだん高く上るにつれ、日も昇り、明るくなる。

5:38、淀川入口着。車を停め、弁当を食べる。

6時、歩行開始。天気は最高だ。屋久島の4月は内地の初夏である。

6:38、淀川小屋。かなり泊まっている様子だ。このとき「百人一首」に凝っており、歩きながら百首全部言えるかどうか試していた。言えなかったときには持参した白洲正子著「私の百人一首」(新潮文庫)で確認するということをやっていた。この屋久島行きの時に全部言えるようになったと思う。今では大部分忘れてしまったが・・・

汗を拭きながら登っていくと左に「トーフ岩」が乗っかった高盤岳が見えてくる。まったく不思議な眺めだ。

7:22、高盤岳展望所で休憩。シャリンバイが咲いていた。033

7:35、小花之江河。7:45、花之江河。日本最南の高層湿原である。標高1630m。015

←バックの山は黒味岳。白骨樹(枯存木)が目立つ。5月の終わりからヤクシマシャクナゲが咲き、それはそれは奇麗だそうである。

8:03、黒味岳分岐。

8:20、投石平。016_2 017

←投石平にて。バックは黒味岳。

いよいよ「奥岳」と言われるあたりに踏み込む。投石岳・安房岳・翁岳を右に眺めながら進む。9:03、翁岳の直下。「こんなところにこんな水が」と思うウマイ水がある。ペットボトルに水を補給する。

9:27、栗生岳。ここまで来ると目の前に待望の宮之浦岳が!22分登って宮之浦岳頂上到着だ。9:45、三角点にタッチ。三人ガッチリ握手。

昨年12月以来の宮之浦岳。まさかこんなに早く、また戻ってこれるとは・・・

頂上には30人くらいはいたろうか。

視界は360度。いや390度か420度と言いたいくらいの大快晴である。

種子島・口永良部はもちろん、黒島・硫黄島・竹島に開聞・桜島・霧島も見える。目を転ずるとトカラ列島まで見えるではないか!

雨男の某隊員も形無しである。018 019

←宮之浦岳頂上にて。

弁当を食べる。ウマイなー。お湯を沸かし、インスタントのコーヒー。ウマイなー。

10:45、1時間滞在した頂上をあとにする。

下りは鼻歌が出る。天気も最高だ。11:05、翁岳直下でまた水を汲む。

020

←なんの花だろう?ツツジ科か。

11:50投石平。12:17、黒味岳分岐。12:28、花之江河。

021

←12:45、小花之江河にて。ヤクジカ2頭。近寄ってもまったく逃げない。

12:53、高盤岳展望所。

13:41、淀川小屋。静岡から来たというお父さんと小屋前で話す。お父さんはストック持っていなかったので、「ストックあるとラクですよ」という話をした。

14:24、淀川登山口に戻ったところでまた三人ガッチリ握手だ。

022_2 023

思ったより早く下りてきた。H副隊長は明日の午前中の便で島抜けするので今日のうちにいけるところに行っておこう。

024 025

←紀元杉

026 027

←千尋の滝

YHを通り越し、湯泊温泉へ。028 100円です。

ここには脱衣所はありません。湯船も低い衝立で女湯と男湯を区切ってあるだけ。衝立の向こうをのぞいた某隊員は地元のオジサンに「のぞいたらアカンよ」と、やんわりと怒られていました。

YHに戻ります。今日はヒノキ風呂ではありませんでした。

夕食のときにビールで乾杯。

「お疲れ山!」

焼酎も少しずついただきます。

三人とも疲れたのか、この日は早めに就寝しました。

============================

4月18日、朝食後H隊員は携えてきたブランデー(誰も手をつけなかった)を岩川さんのところに持っていったようだ。

029

←YHの玄関前にて記念写真

まず、空港まで。H副隊長を見送る。

H隊員と私は最終便で鹿児島に飛ぶ予定だ。昨年のことがあるので、H隊員は最終便のひとつ前の席がとれないか訊いてみようと言う。

JACのお姉さん「あいにく満席です。変更であればキャンセル待ちという形になりますが・・・」

H隊員「んじゃ、しゃーないなー。予定通り島一周のドライブでもすんべえかー」

と言ってまず向かったのは「平内海中温泉」。H隊員はYHで入れる時間を調べていたようだ。

地元の女性も「湯浴み着」を着て入っていた。おばちゃんは素っ裸だったが。

我々も入ってみる。もちろん、脱衣所なんてない。

引き潮のときしか入れないんである。034 035

←人がいなくなったので記念写真撮りました。

西部林道に入る。自転車で回ったときにはうるさいくらいにいたヤクザルも車で回るとほとんど姿が見えない。

032

←西部林道にて。030

屋久島灯台(永田灯台)にて。

自転車で回ったときには大汗かいた西部林道だが、車だとあっけないもんである。

031

←いなか浜。5~7月には海ガメが産卵にやってくる。

吉田の港。「まんてん」のロケ地である。

布引の滝で写真を撮ろうとしたとき、H隊員がカメラがないのに気がついた。

永田灯台まで引き返した。フェンス(壁)の上に鎮座していた。

志戸子ガジュマル公園に入ってみた。が、写真が残っていないところをみるとあまり感心しなかったようだ。

宮之浦でお土産屋さんに入る。H隊員は家族にいろいろと買っている。つられてこちらも家へのお土産を買う。

遅めの昼食は牛丼にした。ビールも飲みたいところだが、なぜか遠慮した。

さー、空港へ行こう。名残惜しいが、永田岳や縄文杉という宿題が残っている。太忠岳や黒味岳も。また来なくちゃな。

カウンターで荷物を預け、セキュリティをくぐり、窓の外の景色やTVを見て最終便の機材の到着を待つ。フジTVとホリエモンが記者会見をやっていた。

鹿児島からの便が着いた。天気はいい。風もない。これに乗って帰ろう。

ところが、である。

機長らしき人、空港の整備の人、4~5人懐中電灯を手にして飛行機の足の付け根をのぞいている。さかんに首をひねっている。

(マズイぞ、これは。)

と思った瞬間、我々の預けた荷物が飛行機から出されてこちら(空港の建物)に戻ってくるではないか!

(アチャー、またかよ。)

アナウンスが入る。

「鹿児島行き○○便は機材不良のため、欠航となりました。ただいまからカウンターにて搭乗変更の手続きを承ります」

実にアッサリしたアナウンスだった。

H隊員の顔を見る。笑っている。

H隊員は明日まで休み。私は明日から仕事だ。

一緒の便に乗るハズだったツアーの添乗員さんが、ツアーの人たちに説明しているのが聞こえる。

「皆さん、きいてください。この飛行機が島を出る最後の手段ですので、今日はこの島を出ることはできません。会社の方で今夜の宿泊先は確保いたしますのでしばらくお待ちください」

私「H隊員、すまん。オイラが最終便で手配したばっかりに・・・」

H「たけぱぱのせいじゃないよ」

荷物を受け取り、カウンターに並ぶ。

H「泊まるところはどうすっかー?」

私「YHに戻るか」

H「YHは遠いからなー」

と、われわれの後ろに並んでいた60歳くらいのスーツ姿の紳士が、

紳士「君たち、泊まるところがないんっだったらウチへ来ないか?」

隣にその紳士と同年代くらいの女性がニコリとしている。

女性「先生がそうおっしゃるんだからそうしましょうよ」

しばし、H隊員と鳩首会談。

H、私「本当にお願いしてもいいでしょうか」

紳士「いいよ。来なさい」

ということで、搭乗変更の手続きをし、H隊員は自宅に、私は会社と自宅に電話を入れ、女性(北川さん)の運転する車に荷物を入れさせてもらい、先生(牧先生)の別荘へ向かった。楠川というところである。

茶畑の中に別荘がある。茶畑も先生所有だそうだ。

茶の間のテーブルの上に「屋久島物語」という本がおいてある。この本、今日牛丼を食べたお店で売ってたなー。

先生に名刺をいただく。弁護士の先生だった。

先生の名は牧良平。テーブルの上の本を見ると「屋久島物語」牧良平。

私「せ、先生がこの本書いたんですか?」

そうだよ、これね。と言ってH隊員と私に一冊ずつ渡してよこした。

私「先生、この本買わせてください」

H「私も買わせていただきます」

牧先生「たくさんあるんだよ。金はいらん。もう一冊書いてるんだ」

と言って見せてくださったのが「邪馬台国論争の盲点」。

私「では、帰ったらこちらも是非見せていただきます」

先生「まず、友人として乾杯しようじゃないか。北川さん、ビールあったよな」

ビールで乾杯だ。

(なんだか不思議な展開になってきたなー)

先生「君たち、ハラ減ったろう。夕飯付き合えよ」

H、私「喜んで」

北川さんの車で宮之浦の「潮騒」へ。生ビールと焼酎。刺身やてんぷら。こちらはもちろん全部もってもいいくらいだったが、先生からこうおっしゃった、

「君たち、ここはボクが誘ったんだからな。一銭ももらううもりはないからな」

こうして、あるはずのなかった4泊目の屋久島の夜がふけていった。先生の別荘でまた焼酎をいただいた。

============================

4月19日、先生の作った簡単ではあるがおいしい朝食をいただいていると北川さんがまず現れた。次に寺田先生が現れた。こちらは会計士の先生。牧先生も寺田先生も生まれは屋久島で今は東京に自宅がある。北川さんは仙台からの移住だそうだ。

寺田先生の車で新築中のもうひとつの別荘(牧先生いわく「終の棲家」)に案内してもらう。これはすごい、立派な旅館のようなつくりである。先の別荘よりも高いところにあり、種子島のロケット発射もここから見えるそうである。今日は黄沙のため霞んでいるが。

空港で寺田先生・北川さんとお別れして、牧先生と私たちは機上の人となる。鹿児島からも先生と同じ便だった。

先生は無口な方だったが、これが九州男児っていう感じの方でしたね。

羽田で先生にお礼を言ってお別れする。

羽田で昼メシをH隊員と食べて、京急の駅で別れる。会社に電話「羽田に着きました。明日は出勤させてください」

============================

後日、ネットで「邪馬台国論争の盲点」を注文した。昔は船に乗っていた先生ならではの論旨が明快であった。

04年12月に白谷を一緒に歩いたT子さんにメールした「昨年に続いて島抜けに苦労しました」 T子さんの返事「それはきっと屋久島の神様がたけぱぱさんにもう少しこの島にいなさいって言いたかったんですよ」

04年12月の屋久島はコチラを>>

クリックしてくださると、「明日から三回目の屋久島です。」も喜びます!→人気blogランキングへ

|

« 2005年4月、屋久島。写真その5 | トップページ | 縄文杉。ウィルソン株。 »

コメント

たけぱぱさん、大作ですね~!
屋久島は素敵なところですね~。
私も行きたくなりました。。
今日からは、ご家族で屋久島の旅ですね。
いっぱい楽しんで来てくださいね~!!

投稿: ゆみちゃん | 2007年11月10日 (土) 09時41分

また随分細かく書いたもんだね!!
これを読んでいて、あの時のことが鮮明に蘇ってきたよ。
だけど、フレームザックのために飛行機を遅らせてはいなかったぞ。。。。
それにしても、宮之浦岳登山のスタイルはいかにも時代を感じるね。靴も重かったし・・
そして、牧先生にはお世話になったね。信じられないような出来事だったよ。
いよいよ今度は屋久島への家族旅行。素晴らしい思い出を作ってきてくれ!!

投稿: H隊員 | 2007年11月10日 (土) 11時48分

太鼓岩からの宮之浦岳美しいですね。「もののけ姫」映画館とTVで見たのですが、たけぱぱさんのブログからほんわか雰囲気が伝わってきます。奉行杉とても大きくて迫力ありますね! 尾之間温泉200円は安いですね。大川の滝すぐ近くでいっぱいマイナスイオン浴びたでしょう。 シャリンバイ葉っぱがりっぱですね。 視界360度、420度といいたいくらいの大快晴に恵まれとても良かったですね!!
「屋久島物語」という本を書いた先生にも出会われたのですか(*^^)v

投稿: はっしー | 2007年11月12日 (月) 13時05分

大作、おつかれ山でした!/(^o^)\
山行報告と言うより屋久島紀行文みたいになってましたが、紀行文好みの私としては大変楽しく読ませて頂きました!
ばらばらに暮らしている友人がすぐに集まれる事や、旅でのアクシデント、作家さんとの思わぬ展開。
旅ってこういうのがいいんですよね!
私も宮之浦岳はまだなんで、色々勉強させてもらいました。
ありがとうございますm(__)m

投稿: おつ山 | 2007年11月17日 (土) 17時49分

ゆみちゃん、
大作ですよ~。
04年の12月の屋久島ブログには負けますがね。

今回(07年11月)の屋久島も楽しく思い出に残る旅となりました。

ゆみちゃんも香港の旅、楽しかったでしょう?

投稿: たけぱぱ | 2007年11月17日 (土) 20時16分

H隊員、
スマン、スマン。フレームザックのせいで遅れたのではないよな。
もともと羽田から鹿児島に行く便が遅れたのがいけないんだよな。
H隊員もH副隊長もこのときに一気に火がついて百名山に対する情熱が「メラメラと」燃え上がったんだよね。
牧先生たちにはホントにお世話になった。不思議で楽しい一夜だった。
今回の屋久島も思い出に残る旅になりましたよ。

投稿: たけぱぱ | 2007年11月17日 (土) 20時23分

はっしーさん、
いつもブログ応援ありがとうございます。
05年4月が2回目の屋久島。今回(07年11月)が3回目の屋久島でした。
1回目も2回も島抜けにてこずりましたが、今回はすんなり島抜けできました。
さぁ、4回目はまだ未定ですが、必ずまたこのブログで報告しますからね。
その日まで今まで同様にたけぱぱブログを応援してくださいね。

投稿: たけぱぱ | 2007年11月17日 (土) 21時28分

おつ山さん、
コメントありがとうございます。
確かに山行報告というよりは紀行文ですね。
牧先生との出会いは忘れられない出来事です。
こういうハプ二ングや思いがけない出会いがあるのが旅の醍醐味ですね。
宮之浦には2回登っています。
屋久島には3回行きました。
何かお役に立てるようでしたら連絡くださいませ。

投稿: たけぱぱ | 2007年11月25日 (日) 09時22分

2,3日前に牧良平さんというお名前を知り、丸善に屋久杉物語を買いに行きましたが、取り扱ってないと言われ、検索したら…なんとたけぱぱさんが出てきました。

私が屋久島に関心を持ったときにもプロフから
この日記を読ませていただいたのですが、この本のことは記憶に留まらず、会話と欠航が印象的でした。ほんとに楽しいですね。

また、屋久島行きたい熱にうなされそうです。

投稿: ゆう | 2010年1月27日 (水) 17時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/127575/8702445

この記事へのトラックバック一覧です: 2005年4月、屋久島。本編。:

« 2005年4月、屋久島。写真その5 | トップページ | 縄文杉。ウィルソン株。 »