週刊 日本百名山 第24号
このニ座はH隊員と二人で登った思い出深い山である。
登った順に書かせていただきます。
●火打山・・・昨年(07年)も梅雨明けが8月までずれ込んだが、この年(88年)も8月まで梅雨明けしなかった。8月の2・3日で火打・妙高の計画をたてているところにH隊員から電話があり、「北アにでも行かないか」と。夏休みがとれたらしい。どちらにしても私は二日しか休みがないので火打・妙高に付き合ってもらった。前日、上野から旧「あさま」に乗り、途中からH隊員が乗ってくる。翌日、妙高高原で降りて、バスで笹ヶ峰牧場へ。ここから登山開始だ。梅雨明け間近の登山道はポカポカで気分は最高。長靴のボッカのおじさんも顔がほころんでいた。女性グループが手を広げて、ニッコリ「男の人はちょっと待っててください」というくらいのノンビリした山歩きだった。火打の頂上直下ではバテ気味だったが頂上で飲んだビールは格別だった。8月2日登頂。高谷池付近のお花畑は見事というしかない。この頃、山で唄う歌はトシちゃん(田原俊彦)だった。丸い黒沢池ヒュッテは居心地のいい小屋だった。
●妙高山・・・朝飯はカップラーメン。蒲焼の缶詰が食いきれず残ってしまい、テン泊のお兄ちゃんに残り物をあげていたH隊員の姿を生々しく覚えている。この日は雨こそ降らないもののガスガスで眺望は得られず。妙高登頂8月3日。燕温泉に下る。「露天風呂に入ろう」というH隊員だったがまだ露天に目覚めていなかった私は「普通の風呂」のほうが好きで旅館の内風呂に二人で入った記憶がある。風呂上りにサテンでビールを飲みながら、20歳のときに北海道で知り合った女性(H隊員がいろいろと伝説を作った思い出の旅)に絵葉書を書いた。その女性達(北九州と和歌山)とは今でも絵葉書をやりとりする仲である。思い出の北海道の旅からすでに28年。そろそろ4人で集まり、昔の写真でも見ながらゆっくり来し方を振り返りたいもんであります。
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コメント
懐かしいけどまだ山に目覚めてなかったオイラは登山記録もなく(つけていたかもしれないが見つからない?)、あまり細かいことは覚えてないよ

それにしてもたけぱぱはマメに登山日記つけていたから、よくまあいろんなこと覚えてるもんだよ~~
投稿: H隊員 | 2008年7月 4日 (金) 21時40分
H隊員、
昨日は尾瀬お疲れ山でした。
たっきーの元気な顔が見れてよかったよかった。
バァバさんにも報告しておきましたからね。
今月もう一度行くのなら、是非また東電小屋に寄ってくださいね。
ところでおニューの靴の調子はいかがかな?
投稿: たけぱぱ | 2008年7月 6日 (日) 09時18分